ロスキーニ Contact

ガブリエレ・マリア・ロスキーニ著
監修 澤田和夫
訳 内山正幸

四六版 総頁544 上下各¥2,000

 1973年刊の本書は、ヴァルトルタの著作の中から聖母に関する全ての記述をすくい出して聖母の実像を考察した、他に類を見ない大著です。初代教会に息づいていた、神の母、教会の母としてのマリアへの素朴な認識を、二千年後のわたしたちは、本書を通してふたたび取り戻すことができるでしょう。

●著者序文より
「マリア・ヴァルトルタの著書に見られるマリア論は、神が創造なさった最高傑作である聖母の、素朴で崇高な魅力的お姿を、これほど明快にわかり易く、生き生きと、完璧かつ啓発的に示すことのできた作品は、他に類をみないものです。」

●著者 ガブリエレ・マリア・ロスキーニ (1900-1977)
マリアのしもべ修道会(O・S・M)司祭。マリア神学、マリア論の権威。ラテラネンセ大学神学部教授。

●キリストのことば
「聖書は少なくとも、私が人々の魂を救うという点については、良く描かれている。だが、聖母については、ほとんど知られていません。わが母の人格の描写は不十分であり、あまりに多くのことが闇に埋もれたままです。それゆえ、これまであなたに母の本当の姿を明かしてきたのです。私自らがわが母について完壁に説明してきました。彼女は従順さの誉(ほま)れです…母の名は[すべてのものの]従順さに光輝を添えているのてす…」(’49年1月6日に口述されたテキスト、本書17頁)。

●聖母マリアのことば
「今のところあなたは、あなたの母である私のことをほとんど知らない子供です。でも、いつか、私について多くのことを知るでしょう。私のことをもはや、光源から遠く離れた名もない星のような存在としてではなく、また、一つの理想、あるいは理想化された存在としてでもなく、生き生きとして愛に溢(あふ)れた、生身(なまみ)の人間として知るでしょう。神の母であり、そしてイエズスにとっては愛(いと)しい母親であった私の心を知ることになるでしょう。私は一人の女であり、女の苦しみについて理解しています。私自身、そうした苦しみの中でも最悪の苦しみを免(まぬが)れなかったがゆえに、理解できるのです、ほかの人の苦しみを理解するには、自分自身の苦しみを思い出せばいいのですから。こうしたことすべてをわかったなら、あなたは、私が御子を愛したのと同じように、全身全霊で私を愛するようになるでしょう。」(「手記」’43年12月18日、本書18頁)

●主要目次
◎聖母マリアの五つの肖像
◎聖母マリアの輝き
◎「永遠」なる聖母マリア
◎《御父の第二子》としての聖母マリア
◎永遠の昔から《聖三位の幕屋》であるマリア
◎万物の創造に立ち会われた聖母マリア
◎天使と人類が試みられたとき、立ち会われた聖母
◎先行する時におけるマリア

◎時満ちた日々のマリア

◎キリストの神秘につらなる聖母マリアの独自な《役割》

◎教会の神秘につらなる聖母の独自な《役割》
◎聖母に与えられた独自の《特権》
◎無原罪の御宿り
◎永遠の童貞性
◎被昇天
◎聖母マリアと人類
◎時の終りにおける聖母マリア

●時の終りにおける聖母マリア(抜粋)
 時のはじめ、すなわち世界が創られたときにも、聖母マリアは存在されていましたが、同様に時の終り、すなわち世界が終わって、時の流れの川が永遠の海へと尽きていくときにも、聖母は存在されます。
 マリア・ヴァルトルタの記録には、終りの時における聖母の慈悲深い現存について、二つの感銘を与える文章があります。

「[聖霊が霊視者を通じて、私たち皆に語りかける]。『不敬虔(ふけいけん)と不正が人類の九九パーセントの心を占めるようになる日がやって来ます。そのときは、精神的・物理的な不正とともに不敬がすべての社会階層に広がり、憎むべきものがまさに神の家にまで入り込んでいるでしょう。それは預言者[ダニエル9・20-27]とその後に御言葉が語られていた[マタイ24・15-25、マルコ13・14-23]あの荒廃をもたらす憎むべきものです。荒廃は終りの時が近づいたことを意味していると言われて来ました。これは真実ですが、しかし、<荒廃>という言葉にはなお十分な意味付けをする必要があります。

 不敬虔の時代になった時には、神はもはや父親のような罰であなた方を諌(いさ)めることはなくなるでしょう。不幸なことに、こうした罰はわずかな人びとしか救いません。その日には、人類の大部分がサタンに仕えているので、神はあなた方をあなた方自身に任せるでしょう。神は退(しりぞ)いてしまわれます。
神はもはや働かれません——そして最後に、神の御意思が一瞬働いて、天使たちに七つの封印を破り、四つのラッパを吹き鳴らし、そして三つの災害のワシを解き放つよう命じるのです。その後、恐ろしい、第五のラッパが鳴り響き、終りの時のユダたちが[黙示録6・8、6-13、9・1-12]、人類が神以上に望んできたものを解き放つために地獄の深淵への扉を開け放ちます。

 いつ? いつ? 私たちはすでにこの時に入っているのだろうか? それとも入ろうとしているのだろうか。あなた方は恐れ、訝(いぶか)ります。・・・しかし、あなた方は悔い改めません。その時はあなた方に明かされることはないでしょう。それは、今日の預言者たちの心に書かれています。『七つの雷が語ったことは封印され、語られることはない』[黙示録10・1-7]のです。

 地上全体が嵐の海のように、混乱に陥ります。ペトロの船に引き上げられ、聖なる航海長に忠実であり続ける神のしもべを除いては、すべての人類が難破します。それから、荒海の波涛の恐怖の上に登るやすらかな星のように、海原の星が見え始めます。それは日の出前の、すなわち神の子羊の第二の、そして最後の来臨の前の、明けの明星の最後の出現です。聖者たちの中の聖者である贖罪者が再臨なさるとき、その先駆者は砂漠での改悛者ではありません。かつての先駆者は誠実に自ら罪びとたちをその鈍感さから癒し、主を受け入れるためにより敏感になるようにしましたが、その苦行は禁欲的で過酷なものでした。再臨における先駆者は、私たちの天使、肉をまとわれたセラフィムであった女性です。私たちは、それ以上に甘美で価値ある場所を見つけることが出来なかったために、自分たちの住処(すみか)をそのお方のうちに建てたのでした。そのお方は純粋な黄金の愛すべき聖櫃(せいひつ)であり、その聖櫃は今なお私たちをその内に容れてくださっていると同時に、私たちも自らの内にそのお方を持っているのです。その方は天を飛び回り、その愛を広めて、王の中の王のために香り高い高貴な道を整えておられます。これが彼女の最後の母なる仕事となるでしょう。彼女はいまだ胎芽にすぎず、主から生まれたいと望んでいるすべての人々を誕生させるでしょう。
 東方に目を向けなさい・・・希望の時がやって来ます。闇はますます濃く、さらに耐えがたくなり、地上を覆いますが、それでも白い夜明けがすでに明け初めています。それは比類なく美しいでしょう」(『ロマ書注解』[’48年1月6日])。

 そのとき、聖母マリアは「荒海の恐怖の上に昇るやすらかな星」のようでしょう。彼女は海原の星、審判官であるキリストの日の出前にやって来る明けの明星となります。そして、最後の選ばれし者を産んで、王の中の王の道を整えるのです。もう一つの文章で、イエズスはこう語られます。
『黙示録には、神の怒りの火が地上に注ぎ始める前に、ひとりの天使が神の玉座の前にいとも聖なる香(こう)を捧げる、と預言されています。至高の場にふさわしいこの不朽の香とは、聖人たちの祈りです。
さて、この祈りの初めにして、もっとも偉大な祈りが、わが母の祈りに満ちた涙であることを、誰が疑えましょう。わが幸いなる聖者、いとも甘美な殉教者の涙は、彼女に神の言葉を告げた[大天使ガブリエル]によって集められます。その天使はまた、彼女の[同意<フィアット>]を聞き、神性が人性と結ばれた超自然的な婚姻を目撃したのでした。神がひとつの肉をその高みまで引き上げたと同時に、神と人間との間の平和な肉となるために、神は自らの霊性を低くされたのでした。
 ガブリエルとその天の仲間たちはイエズスとマリアの苦しみの上に身をかがめました。天使たちは二人を慰めることは出来ませんでした。なぜなら、それは神の正義の時だったからです。しかし、天使たちは目を背けることなく、その明晰(めいせき)な知性でその時の詳細を記録しました。天使たちは、時の終りに起き上がるすべての人々に、それらを宣(の)べ伝えるために、そうしたのです。祝福された人々は喜びますが、邪悪な人々は最初、有罪を宣告されて立ち尽くすでしょう。どちらの人びとにとっても、これは彼らの至高の審判者、および至高の王として、私が彼らに告げようとしていることの前触れとなるのです」(『手記’43』[九月一三日])。

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