手記 Quaderni

1943年12月16日

 十二月十六日

   民数記 二十三章十二、十九、二十一節

 イエズスが言われます288。

「神の真の僕は、主の道から逸れさせようとする人間勢力に直面したとき、こう答えます。『主が命じられた以外のことを、わたしは言ったり行ったりできるでしょうか」。

 神の命令への服従──そがどんな命令であれ──従うことは神の僕のあかしです。神の要求は無限であり、すべては愛という目的によって正当化されます。ある者には沈黙しなさい、ある者には語りなさい、ある者には孤立しなさい、ある者には魂の指導者になりなさいと命じます。ある者には超自然的な視力を与え、ある者には超自然的な声を与えます。だから、わたしの僕たちは、わたしの意志の通りに行動するようにさせなさい。そうすれば、わたしにとって彼らの功績は同等となるでしょう。

 わたしは、あなた方が従うことを拒否できないような強制はしません。紡ぎたての亜麻のようにわたしの手の中で柔らかい者でさえ、わたしから従順を強制されることはありません。でも、彼らが『わたしのもの』であればあるほど、従うことは彼らにとって容易で大切になります。世は神に属する人々を憎むので、彼らは危険に遭うでしょう。世はわたしの『聖人』たちの苦しみに憎しみを燃やすので、彼らは苦しむでしょう。それにもかかわらず、彼らはわたしの命令に忠実であり続けます。

 愛によって清められた口と、命である慈愛によって神の鏡とされた心を持つ者たちは、わたしが彼らに示唆することだけを行い、繰り返します。御子に従う者たちは祝福され、主に倣います。主の従順は神聖で無限でした。主は自らの本質を用いて従順を安易にすることはなく、すべてを味わい、自らのものとしました。神よりも劣る人間にとって忌まわしいものでさえ受け入れて、神の子は彼らに模範を示しました。

 けれども、うそをつかず、変わることのないわたしは、これらの人々を祝福することを誓います。彼らの心には偶像はなく、ただ一つの祭壇、わたしの祭壇があるだけです。その祭壇からは、父の声が響き渡りますが、その声は恐怖を与えることはなく、天上のオルガンのように神聖な喜びで魂を魅了します。そこに響き渡るのはわたしの意志で、それは、彼らにとってわたし自身と同じように神聖です。

 わたしは、これらの僕289と共にいます。そして、わたしの存在は、聖書で語られている勝利の歌声のとおりです。それは、霊魂の敵をすべて追い払い、その霊魂を天国の征服者にすることを確実にするからです。

 彼らは生きている間に、慈悲深くほほ笑む神の顔を距離と意志のベールを通して垣間見るでしょう。その後、『ヤコブから生まれた星』、わたしの聖なる子、正しい者を知るでしょう。その刺し貫かれた手に、わたしは王の笏、最後の審判の日に祝福された者と呪われた者を区別する聖なる杖を置きました。それは、わたしの僕たちにとっては、愛撫のように甘美なものとなるでしょう。

 これからは、永遠の主に従いなさい。主は神の国への確かな道へとあなた方を導いてくださいます。ただし、聖書に記された人物に倣い、善悪を問わず、あなたが心のままに行うのではなく、主が告げられることだけを従順に行うのでなければなりません」。

注

  1. 少なくとも第五段落からは永遠の父が話されている。

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  2. 「第二十四章十三~十七」と著者による書き込み。

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