手記 Quaderni

1943年12月5日

 十二月五日

  ゼカリヤ書七章四~十四節(午前二時に)

 イエズスが言われます。

「わたしは律法と預言者を否定するために来たのではなく、律法と預言者を確認し、不正確さや上部構造を修正することによって完成させるために来ました。その不正確さや上部構造は、人間自らの不完全さや、魂よりも優先される人間性によって持ち込まれたものです。

 人間は、誤解しやすいものです。神秘的な感覚も自然な感覚も完璧ではありません。前者が完成するのは、わたしの中で生きるときだけです。わたしがその人の中で働くからです。また、人間は生来の不滅のプライドによって、神の業すらも修正しようとする誘惑に引き寄せられるため、物事を複雑にしがちです。

 あなた方は、神の子であり、神々です。しかし、常に神の方が偉大で、完全であり、自ら生まれた者です。あなた方は常に劣り、神に生きてこそ完全となり、神によって生まれた者です。さて、神がその性質の兆候の一つであるその単純さにおいて完璧に与えてくださるものを、なぜあなた方はいつも自分の複雑さで修正しようとするのですか?

 わたしが師となったとき、本来は明晰で率直だった律法が、煩雑な押しつけと雑然とした定式に囚われ、信者たちが実践不可能なものとなっていたことに気付きました。当然のことながら、重荷と定式は身分の低い人たちのためのものでしたが、それらを作り出した権力者はそれを負いませんでした。

 祭司たち、律法学者たち、ファリサイ派は、わたしを嫌悪と軽蔑で満たしました。彼らの中に、わたしが心から愛する忠実な魂を少しは見ましたが、野生のヤギの群れよりも多い群衆は、悪臭を放ち、商売や偽りや不敬虔、冷酷さで主の家を汚し、主を地上の貧しい人々にとって恐ろしい存在に仕立て上げました。

 あの悪臭を放つ墓たちは、わたしのために断食し、犠牲を捧げましたか? いいえ。人間的な利益と賛美を得るためです。律法学者であること、そしてイスラエルの選ばれた人であることは好都合でした。しかし、メシアとその祝福を引き寄せる願いと捧げものは本物ではありませんでした。

 そこで、メシアは、軽蔑されていた地域へ向かいましたが、そこには、神の御子を歓迎し守るにふさわしい、聖なる女性と正義の人がいました。

 ああ、子らよ、今、あなた方は神のために断食し、祈りますか? いいえ。あなた方は断食の代わりになる自然な窮乏を諦めて耐えようとはせず、むしろそれを憎悪の源にし、愚かで冒涜的な呪詛を絶えず繰り返しています。あなた方の祈りは内なる感情によって汚れ、歪められており、神には祭壇に置かれた汚れものとみなさます。神はそれらを焼き尽くし、その煙を地に吹き飛ばします。

 わたしはもう一度、神に犠牲と祈りと捧げるときにあなた方が用いなければならない形式を繰り返します。その純粋な香りは、完全に焼き尽くす生贄として、祭壇から神の御座にまで立ち上がります。

 真実に従って判断し、きょうだいが誰であろうと慈悲深く思いやりなさい。未亡人や孤児、貧しい外国人、地上のつつましい人や弱い人を虐げてはなりません。同胞に憎しみや復讐、悪行の考えを抱いてはなりません。要は、愛しなさい。なぜなら、愛は律法の要約であり、愛する者はすべてを行うからです。そして、愛は無数の捧げものを香らせる香であり、祭壇の石を磨く清らかな水なのです。

 あなた方の心と耳を、これ以上に固くしてはいけません。かつて古代の人々が預言者を通して語る神の声に心を閉ざしたように、神の『代弁者』を通して語る神の声に心と耳を閉ざしてはいけません。

 あなた方がわたしに耳を傾けないなら、わたしも当然、あなた方の言うことを聞きません。すると、わたしは、あなた方の神、父、救い主ではなくなります。その時、あなた方は主の容赦ない激しい怒りを経験するでしょう。神の言葉であるパンを拒絶したあなた方は、地面に倒れ、飢えた獣のように互いに引き裂き合い、恐怖に震えながら死んでいき、さらに恐ろしく永遠の恐怖を経験することになります」。

 同じ日、十二月五日270の午前八時に、イエズスが言われます。

「忍耐してください、わたしの魂よ。あなたに話しかけずにいられません。なぜなら、わたしを愛してくれる人たちと話すことは、わたしの喜びであり、願いであり、愛する心の要求だからです。

 心から愛し合う夫婦の振る舞いを見たことがありますか? 妻は家にいて、常に時計を気にし、窓辺に駆け寄っては、夫が勤めから帰るかと確認します。夫は、できるだけ早く妻に愛の言葉を告げようと駆け寄ります。ついさっき別れたばかりでも、彼女を喜ばせるために自分も同じように言えばよかったと思い返し、早く妻に伝えようと駆け寄ります。愛が二人を突き動かします。

 わたしも、黙っているとすぐに、何かをあなたに伝えたい気持ちになります。昼も夜もあなたに話しかけて、あなたを完全に自分のものにしたいところです。あなたも、自分を完全にわたしに捧げることができたらと思います。わたしがどんなにあなたのことを愛しているか、知ってもらえさえしたら!

 さあ、聞きなさい。何年か前、あなたはわたしの僕のコンタルド・フェッリーニの著作を読んで、『天国での会話とはなにか』と、何度も疑問に思っていました。あなたは神秘主義について何も知らなかったからです。

 それはこうです。あなたがわたしに耳を傾け、わたしがあなたに話しかけるとき、祈りの表面的なささやきではなく、あなたを啓示の炎で魅了し、あなたをわたしで満たすとき、あなたがわたしに、『イエズスよ、来て、僕に話しかけてください』と言うとき、地上の貧しく乾いた人々に渡すように、宝箱や水差しに蓄えるようにあなたに託したわたしの言葉をあなたが味わうとき、そのとき、わたしたちは天国での会話をしているのです。

 あなたは、熱心なカトリック信徒のほとんどと同じように、決まりきった形式に固執していました。わたしはあなたを解放しました。あなたの魂を、決まりきった制約や、つまらない慣習の限界を超えて、祈りの神秘の海の果てしない空間へと導きました。わたしは、あなたを包み込み、吸い込み、魅了し、祈りの炎に浸しました。

 あなたは以前、繋がれた小さなスズメでした。今、あなたは空高く舞い上がり、支配する鷲になりました。太陽に向かって登り、太陽を見つめ、太陽に力づけられながら舞い上がります。同心円状に飛ぶ鷲のように、さらに高く舞い上がりなさい。上空では、永遠の鷲であるわたしが、あなたを五感の彼方へ、愛の知識へと導こうと待っています。

 常に速やかに、そして自信を持って呼びかけに従いなさい。愛の風に身をゆだねなさい。それは、あなたを妨げるのではなく、支えます。それは、あなたをわたしへと運ぶために吹くのです。それは、わたしから来たのです。あなた自身を一滴の水として、わたしの無限の海に落としなさい。あなたの閃光を、わたしの無限の輝きの中に隠しなさい。あなたの神、主、配偶者の一部になりなさい。わたしはすべての宝の扉を開いて、あなたが所有できるようにします。

 あなたを愛しています!」

 午前十時

 マリアが言われます。

「神殿奉献について、ルカは『父と母は幼子について言われた言葉を聞いて不思議に思った』と述べています。

 二人の驚き方は異なりました。わたしには、霊なる花婿があらゆる未来を啓示してくださったので、人類を救うために御自ら肉体をまとい、霊的に生きる者たちに御自身を現された主の御心に、超自然的な驚嘆と崇敬の念を抱きました。また、受肉した御心の母として、卑しい僕であるわたしを神が選んでくださったことに、改めて驚きました。ヨセフも、人間らしく驚きました。それというのも、彼は聖書で語られたことと、天使が啓示してくれたこと以外は何も知らなかったからです。わたしは黙っていました。

 至高の方の秘密は、聖所にしまわれた箱に納められたかのように、至高の祭司であるわたしだけが知っていました。そして、神の栄光は耐え難い輝きで人々の目から隠されていました。それは輝きの深淵であり、神の霊に接吻された処女の目だけが見つめることができました。だからこそ、ヨセフもわたしも驚嘆したのです。それぞれ違った形ではありましたが、同じように驚嘆しました。

 ルカの別の箇所も、このように解釈されるべきです。『しかし、両親には、イエズスの言葉の意味が分からなかった』(二章五十節)。

 わたしには分かりました。もっと前から知っていました。御父は、わたしに母としての苦悩をお許しになったのですから、わたしの息子の言葉の崇高な意味をわたしにお隠しになりませんでした。しかし、完全なお恵みを与えられなかったヨセフを辱めないように黙っていました。

 わたしは、神の母でしたが、愛する伴侶であり、見守ってくれる兄弟である善人を敬う妻であることに変わりありませんでした。わたしたちの家族は、どんな点においても、どんな分野においても、欠点を知りませんでした。わたしたちはただ一つのもの、すなわち息子への神聖な思いで互いを愛し合っていました。

 ああ、イエズス。彼は、わたしのヨセフの臨終の瞬間に、この義人から受けたすべてのことを思い起こし、彼だけができる方法で、ヨセフにあらゆる慰めを与えてくださいました。ヨセフが夫の模範であるように、イエズスは子どもたちの模範です。わたしは、世から、そして世のために多くの苦しみを経験しました。しかし、わたしの聖なる御子と義なる配偶者からは、彼らの悲しみの涙以外に、涙を流させられることはありませんでした。

 ヨセフがそばにいなくなり、わたしが息子にとって地上で第一の権威者になったとき、わたしはもう沈黙を守ることで理解していないかのように振る舞うことをやめました。自分の理解が及ばないのを見て恥ずかしがる人はもういません。そこで、わたしはカナで、『なんでもこの人が言うとおりにしてください』と言いました。それは、イエズスがわたしに何も拒まないこと、そして、彼の力強い言葉の背後に最初の奇跡があったことを知っていたからです。それは、わたしが促し、息子が与えてくれた奇跡でした。春に白薔薇の木に咲く一番花のような奇跡でした。

 マリア、聖書の読み方を知らなければなりません。人間は読み方を知りません。イエズスが説明しないときにはいつでも、わたしが手引きして説明しましょう。わたしは、あなたの母でもあります。わたしの娘に、最も優しいイエズスについて知ってもらいたいのです。わたしたちのイエズスを知っている人はほとんどいません。

 イエズスを知れば知るほど、あなたは愛するようになるでしょう。あなたがイエズスを愛すれば愛するほど、わたしを幸せにしてくれます」。

注

  1. 日時の特記については、後に著者本人が書き込んだと思われる。

    ↩