1943年12月3日
十二月三日
ゼカリヤ書三章
イエズスが言われます。
「わたしはサタンを打ち負かした者です。わたしが世に来てからずっと、サタンはわたしに限りない災いをもたらしました。高利貸しで得た富を他人に奪われることばかり心配する盲目的で貪欲な権力者の憎悪を、わたしに向けさせました。また、本来その地位にふさわしくない支配階級を、わたしの功績によって非難されたように感じさせて、わたしを攻撃させたのです。わたしの言葉も叱責でした。けれどもわたしは、話す前から傷つけていました。なぜなら、神聖さは下劣な者への叱責だからです。サタンはわたしに敵と裏切り者を生み、わたしの弟子や友人たちに疑念を抱かせました。荒れ野でわたしに罠を仕掛け、ゲッセマネの恐怖でわたしを抑圧しました。それでも満足せず、絶えず人間の心を誘惑して、わたしから奪っています。
わたしとサタンの戦いは、人間が徹底的に裁かれるまで終わらないでしょう。そして、最終的な勝利は永遠にわたしのものになるでしょう。今、地獄の獣は、何度も敗北を経験し、敗北によって狂暴さを増し、限りない憎しみでわたしを憎み、地球をひっくり返して、わたしの心を傷つけています。けれども、わたしはサタンへの勝利者です。サタンがどこを汚染しようと、わたしは愛の火で清めます。もし、わたしが尽きることのない忍耐力をもって師と救い主としての仕事を続けていなかったなら、あなた方はみな、今頃は悪魔になっていたでしょう。
あなた方を大きな罪から清めるために、わたしは御父の意志に従いました。最大の罪は、神の命令への不服従でした。そこから、権力、傲慢、欲望への渇望が生まれました。あなた方が神に生きる生活で彼らを滅ぼすことができなかったとき、この三つの激怒は常にあなた方を捕らえます。わたしは最初の不服従を、わたしの服従で償いました。
あなた方をほかの罪から清めるために、わたしはあなた方の衣服であった罪悪という惨めな衣服を自ら着て、そこから全人類の罪悪を取り除くために、それらをわたしの血に浸して洗い清めました。
その後、栄光が訪れました。しかし、まず苦しみがありました。その後に裁く権利が与えられましたが、まず贖罪の義務が与えられました。その後、わたしは七つの霊の最も聖なる源泉である新しい神殿の創設者になりました。しかし、神の家を清めるために、まずわたしが犠牲にならなければなりませんでした。
司祭の皆さん、義務を果たすという軽い軛を負っているあなた方は、どう思いますか? わたしにとって、司祭であることは容易だったと思いますか? あなた方の中に、どんなに心配事に苛まれている人がいたとしても、わたしほどの苦しみに苛まれている人がいるでしょうか? しかし、わたしがあなた方に託すこれらの魂は、わたしが死によって得たものであることを知っていますか? それらを失わせてはなりません。わたしが命を犠牲にしてそれらを奪い取ったように、あなた方も命を犠牲にして、サタンから奪い取ってください。
学ぶには、わたしを学ぶだけでよいのです。学者になる必要はありません。ただ神を求める人になりなさい。そうすれば、神であるわたしは、あなた方を照らしましょう」。
同日の午前八時に
イエズスが言われます。
「わたしの母があなたに、神の母としての彼女を包む影について話しました268。これは、その数日前のわたしの言葉269と矛盾するものではありません。
混雑した通りを行く貧しい二人の中に、光や香りのような何か特別なものがあることに、もし皆が気付いたとしても、それは彼らの盲目を照らすことはできず、彼らの霊的聴力の欠乏に話しかけることもできませんでした。それは見るというよりも、頭に巻いた不透明な包帯を通して太陽の輝きを感じるような感覚に似ていました。また、もはや言葉とも言えないほど僅かな音に遮られたため息のように、鼓膜にほとんど届かない遠くの音を聞くような知覚に似ていました。
母は自身を『沈黙の人』と呼びました。マリアの連祷には多くの特質を加えることができ、あなた方はそれらの特質について瞑想することがたくさんあるでしょう。彼女は、沈黙の聖母であり、光明の聖母であり、そして光の母でした。
彼女は非常にためらいながら、わたしの伝道者たちのために、ベールをいくらか外しました。しかし、彼女の超自然的な知識がわたしの利益に役立つと判断させたものに限ってのことでした。彼女自身については完全な沈黙を守りました。ルカが言うように、彼女はすべてを心の内に留めました。最愛の人たちのために思い出を心から取り出すときは、宝箱から真珠を取り出すようにします。
群衆が母の通過によって聖化されたのに理解できなかったとしても、驚くべきことではありません。母が言ったように、彼らは聖人ではありませんでした。多少なりとも聖化されたとしても、彼らの心は神から遠ざかっていました。神のいないところに光はありません。
神が聖母マリアを、一見平凡な生活というベールの下に守ったことも、驚くべきことではありません。神は人間が愛するものを愛さないからです。祝賀や、ましてや人間の自己賛美などを愛しません。神は自らを隠し、愛する者たちを同じように包み込みます。世界は冒涜的で、サタンは敗北すればするほど、ますます狡猾になります。神は最愛の者たちと彼らの中にいる御自身を、貪欲な好奇心と毒の罠から守ります。神は自らの道具である者たちが使命を達成することを願って、細心の注意を払います。神は『聖人』にだけ、隠された真実を明らかにします。
わたしが生まれた後、マリアがごく普通の女性、若い母親というだけの姿に見えたのも、驚くべきことではありません。聖体が現れた聖体顕示台のように、マリアは今や自身が全聖なる存在となりました。しかしもはや至聖なる者を担っていませんでした。そして、至聖なる者が、生きている者、死んだ者、未来の者を含む地球を永遠の主権で救済したまさにその瞬間に、世の目には悪行のために拷問を受ける犯罪者と見えたことを考えれば、共同贖い主となって地球を救った母が貧しく素朴な女性と見えたのも理にかなっていいました。
マリアの中でわたしが形成される輝かしい時間は過ぎ、夜の間にマリアの心と洞窟と天国を満たしていた喜びの輝きは、夜明けに限りない苦痛でできた血染めの救済の太陽が昇り始めるとともに消えていきました。夜明けには、マリアが既にこれらの思いに浸っていることが分かりました。捧げ物はすでにわたしの名において捧げられており、地上で最もキリスト教的な二つの言葉が悪を締め付ける鎖となっていました。『わたしは主のはしためです。主よ、御心が行われますように』。
母の聖なる、祝福された唇! 幼子の無に、完璧な言葉の純潔な響きを与えてくださいました。母の英雄的な『はい』という言葉に、天はひれ伏し、救い主である殉教者である母をあがめました。毎日真珠が加えられる首飾りのように、マリアの苦悩の日々が始まりました。そして、最後はゴルゴタでした。
彼女の長い苦しみのゆえに、あなた方に『彼女を愛しなさい』と言います。あなた方がわたしを愛するとき、わたしはあなた方を祝福します。しかし、あなた方がわたしの母に与えてくれる愛と引き換えに、あなた方のために天国でもっと輝かしい家を用意します」。