手記 Quaderni

1943年11月30日

 十一月三十日

  ミカ書 五章一~五

 イエズスが言われます262

「ベツレヘムがなぜ、ユダのすべての町の中で救い主を迎える場所として予め定められていたかを説明しました263。偉大なのは、ラケルの死とユダ264の血統とともに彼女に与えられた王笏のためではなく、真の王を迎え入れたことです。その王を、すべての人が終わりの時まで限りない愛、あるいは同様に限りない憎しみを持って見つめることになります。

 人々に待ち望まれた者、その笏は十字架、その掟は愛と赦し、その働きは贖罪である者は、ラケルが苦しみの末に息子を産み、人が右腕のように愛する息子をヤコブに与えて亡くなった場所で、ラケルよりも功績と苦痛においてはるかに偉大な女性によって生まれるはずでした。彼女は肉の働きによって母となったのではなく、聖霊の働きと永遠なる者の意志によって、彼女の人間的な考えに反して独り子を産みました。

 母親になることを少しも考えていなかった聖母に息子が与えられました。従順のパンは、イエスによって触れられる前にマリアによって裂かれました。イエスは父と同様に、弟子たちに従順を強制することなく、彼らに自らを捧げるという愛情ある従順を求めました。そして、マリアは世界の主であるメシアを産みました。そのメシアは、罪深い地球から放り出されるまで、彼の土地(パレスチナ)に留まり、彼の衣服を葡萄の血によってではなく、彼の神聖な血で染めることになります。

 それから、人の子は弓から放たれた石のように墓から出て、天に昇ります。しかし、彼を拒絶したその場所には災いが、殺意に満ちた心には災いがあるでしょう! 聖なる者に与えられたあらゆる荒廃によって彼らは荒廃し、神殺しの名の下に何世紀にもわたって歴史の中に伝わるでしょう。

 永遠の昔から神の子として生まれ、神によって定められたときから人の子として生まれた彼は、人間が支配するときに用いる衣服や冠で支配するのではありません。しかし、彼がユダの地を統治せず、ユダの地が彼を悪人として扱ったとしても、彼の王国はその地にも来ると、あなた方に断言します。

 わたしは彼の右手にすべての種族を集めます。なぜなら、わたしの息子が全員を贖ったからです。彼らの中から真理を渇望する者たちを選んで。終わりのない王国を持つ王は、永遠とすべてのものを支配するでしょう。なぜなら、わたしは彼の愛の力によって、彼の刺し貫かれた足に足台を置いたからです。

 そして、彼の愛に帰依し、最後まで彼に忠実であり続ける人は幸いです。彼らは彼とともに地を受け継ぎ、平和を永遠に受け継ぐでしょう。彼はその平和の創造主です。

 書いた物を読んでいて気付きましたが、ここでも御父が話しておられます。

 今は午前九時です。もう一つ、二十九日に書いた物は、耐え難い苦しみの夜に書いたものでした。あの日は一日中苦しんで、午後六時には窒息寸前の危機に陥ったほどでした。

 夜明けの早い時間から、イエズスはわたしを力強く捕らえていました。『七十週の意味を見つけなさい』と言われてからずっと。そして、断言しますが265、わたしが一日中悩まされていたのは、このせいでもありました。まるで夢想状態でした。それには、他の人たちも気付いていました。そして、わたしは夜が待ちきれませんでした。イエズスが話す時を待っていらっしゃるように感じました。でも、とても疲れていたので、告白のように告白しますが、一語一句イエズスがわたしに書かせた通りに書いただけです。わたしは立ったまま、目を閉じて眠っていました。書き終えると、何の関心もなくノートを閉じましたが、今朝になって初めて、何を機械的に書いていたのか、分かりました。

 お優しいイエズス! わたしは何て呆けた秘書だったのでしょう! でも、イエズスがよしとしてくださるなら・・・

 でも、あなたもお気付きと思いますが、消しゴムで消したり、省いたりした言葉はありません。二ページ目と三ページ目に一つ、そして四ページ目に一つ削除があるだけです。これは、わたしの精神が、イエズスの言葉を楽しむことができないほど疲れ切っていたとしても、イエズスの力がわたしの手を導かれていたことのあかしです。

注

  1. 著者が最後に記しているように、これらは永遠の御父による言葉。

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  2. 十一月二十六日の口述で。

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  3. 「ユダ」とかろうじて読めるが、「ダビデ」らしき語と重なっている。

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  4. ミリオリーニ神父に向けて。

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