手記 Quaderni

1943年11月22日

 十一月二十二日

 イエズスが言われます。

「愛し合いましょう、おお、愛されている者よ、愛について語りましょう。愛する者たちにとって、これ以上に甘美なものはないからです。

 福音において贖われた女性は、受肉した神であるわたしを礼拝した三人の東方博士のように、わたしの足元に三つの贈り物を謙虚にささげました。涙で心を、髪で肉体を、香料で精神を。あなたも同じように、自分のためには何も残さずに、すべてをささげなければなりません、命の息吹さえも。

 大水も愛を消すことはできず、川もそれを押し流すことはできません。もし誰かが、愛と引き換えに自分の財産をすべて差し出すなら、その人はひどく軽蔑されるでしょう。

 愛を消し去ろうとする大水は、人生におけるあらゆるもの、心配事や必要から来ます。川は魂が神に完全に身をゆだねることを妨げようとする他者の意志から来ます。

 しかし、真に愛する人は前者を考慮に入れず、後者を恐れません。他人の人生の関心事よりも、自分自身にとって不可欠なもの、つまり、神を愛することを重視します。神に没頭、いやむしろ『上昇』したと言っていいほどの魂を持つ人は、他者にとってのいわゆる『命』を既に超越した存在として生きています。人間の価値観を覆す、聖なる者が達成すべき目標として見据えるのは自分の利益ではなく、ただ神の利益だけです。関心事はただ一つ、命を獲得することです。それは、茎の上で短期間しか生きられない哀れな地上の花の命ではありません。その人は、すでに神と一つになっているので優しいです。自分の宝を守らなければならないときはライオンになります。家族や社会からの迫害もこの激しい霊魂を圧倒することはできません。むしろ荒れ狂う海の波のように、すぐに岸辺へ、神の心へと運びます。

 おお、わたしの愛する者たち、真理を知って味わう者たちの最も祝福された苦しみよ。彼らは雅歌の作者のように、たとえ愛を征服するために持てるすべてをささげたとしても、ほんの少ししかささげたことにならないと言います。なぜなら、無限の愛の所有に比べれば、地上の一日という贈り物さえも、はした金に過ぎないからです。それは空虚な言葉ではなく、この目的のために全人生をささげた真実の言葉です。

 だから、あなたのすべてを、わたしに惜しみなくささげなさい。鉄は、るつぼで溶けると美しくなります。愛に溶かされ、燃やし尽くされた魂は、天上の花壇に永遠の花として生まれ変わります。

 そこが、あなたを行かせたい所です。でもまず、わたしたちの二つの愛の働きに耐えなければなりません。わたしの被造物としてのあなたの愛と、あなたの神としてのわたしの愛。この二つの暴力的な働きが、あなたの『自我』を完全に奪い去ったとき、わたしはあなたを平和へ導くために来るでしょう」。