手記 Quaderni

1943年11月11日

 十一月十一日242

 イエズスが言われます。

「嵐の夜の後の穏やかな夜明けのように、主の日が来る前の時代を一緒に見つめましょう。あなたはもう、そこにいないでしょう。しかし、あなたは安息の地から喜びます。なぜなら、アダムの時代から続くすべての生き物とすべての子孫にそれを集める命令を聞く前に、人類の苦闘が終わりに近づき、痛みがすでに和らぎ、生きている人々に地球の最後の短い激動から回復する時間を与えているのを見るからです。

 前に、あなたに言いました243。わたしの教会は、最後の受難の前に賛美の日を迎えるでしょう。それから、永遠の勝利が訪れます。

 その時、カトリック信徒たち、そして全世界がローマ教会を知ることになります。それは、福音が両極から赤道まで響き渡り、御言葉が愛の帯のように地球の端から端まで伝わるからです。カトリック信徒たちは、単なる序章に過ぎなかった猛烈な闘争から抜け出します。殺し合いと残忍な支配者への服従や、殺戮と克服できない暴力への飽くなき渇望にうんざりし、長い盲目期間の後に再発見された勝利の十字架へと向かうでしょう。虐殺と流血の喧噪の中でも、彼らは愛と許しの声を聞き、ユリよりも白い光を見るでしょう。それは、天で彼らを教えるために天から降りてくる光です。

 数百万の部族の行進のように、人々は霊魂を持ってキリストに向かいます。そして、地上で唯一の存在に信頼を置くでしょう。そこには、圧制への渇望も復讐への欲求もありません。

 声を上げるのはローマでしょう。けれども、民衆の指導者によって達成されるような、多かれ少なかれ偉大で永続的なローマではありません。それはキリストのローマです。カエサルを打ち負かしたローマは、武器も戦闘も使わずに、ただ一つの力、愛、ただ一つの武器、十字架、ただ一つの弁論、祈りによって、カエサルを打ち負かしました。それは、偉大な教皇たちのローマとなるでしょう。彼らは、蛮族の侵略によって暗くされ破壊によって衝撃を受けた世界において、文明を守り、未開の人々にそれを広める方法を知っていました。ローマは、傲慢な人々に立ち向かい、聖なる長老たちの口を通して、弱者に味方し、あらゆる後悔に対して抵抗を抱いていそうな人々に対して、精神的な罰の痛みを植え付けることができました。

 おお、多様な人たち、あなた方の間で、永続的な合意に達することはできません。皆、同じ願望と要求を抱えています。そして、天秤のように、一人の取り分が他の取り分に影響します。常に多くの取り分を得るために生き、そのために殺し合います。これはますます深刻な悪循環です。

 支配権を渇望せず、最も聖なる王の名において霊のみを支配したいと望む者の声に耳を傾けなさい。あなた方が人間に幻滅し、すでに人間よりも霊的であり、あなた方に存在を革新させるだけの人間性を保持している者に頼る日が来るでしょう。わたしが霊感を与えた彼の口からは、平和の君であるわたしが、あなたに語るのと同様の言葉が出てくることでしょう。彼はあなた方に許し合いという最も貴重な真珠を与え、鋤と鎌以上に美しい武器はないことを納得させるでしょう。鋤と鎌は、土地を傷つけて肥沃にし、草を刈って美しくします。それはまた、最も神聖な努力とは、兄弟姉妹たちにパン、衣服、家を提供するためになされる努力であることを教えてくれるでしょう。兄弟として愛し合うことによってのみ、憎しみの毒や戦争の拷問についての知識はなくなるのだと。

 子らよ、主の光に向かって歩き出しなさい。見えない闇の中を手探りで進むのではありません。わたしが共にいますから、愛する者たちを先頭に、あらゆる人間の恐怖を克服して、わたしが約束する新たな地への旅を始めなさい。あるいは、わたしの心に最も大切な人たち、聖徒たちの模範に導かれる者たちと共に。そこは、キリストの愛によって変容した、あなた方自身の地となるでしょう。

 サタンと、世界と、肉体を偶像崇拝する人々から離れなさい。軽蔑することなく、彼らから離れなさい。軽蔑は役立ちません。利益でなく、破滅をもたらすだけです。けれども、彼らから感染しないよう、離れなさい。救済者の愛で彼らを愛し、キリストへの信仰を彼らとあなた方との間の防壁にしなさい。あなた方は、彼らの中で生きても危険がないほど強くはありません。何世紀にもわたって深まり続けてきた霊的衰退が、あなた方を弱体化してきました。初期のキリスト教徒に倣いなさい。神への愛の力によって、この世に生きながらも世から隔絶されて生きることができるように。

 そして、惨めな人間を超人であると信じるようなことがないように。人は獣人と何ら変わりません。なぜなら、その最良の部分は本能だからです。彼を獣人より悪くしないものは本能だけです。預言者は言います、『鼻で息をしているにすぎない人間に頼るのをやめよ』244。この文は、こういう意味で解釈しなさい。呼吸を奪われた動物は、ただの汚れた死体です。呼吸だけに命を頼っています。鼻が閉じられて呼吸できなければ、存在を止め、死肉になります。

 それよりも優れていない、息が続く限りの動物的な命しか持たない人々がたくさんいます。霊魂は死んでいます、天のために造られたというのに。だから、霊が鼻の息でしかない人々がいるというのは正しいです。彼らとは霊的に距離を置くのが最善です。そうしないと、サタンの息吹と、彼らから発する獣性が、あなた方の人間性に影響を与え、彼らのようにしてしまうからです。

 彼らのために祈りなさい、おお、祝福された者たちよ。それは慈しみです。それで十分です。言葉に耳を閉ざした人たちに、言葉は入りません。怒り狂う獣のように、鼻から傲慢さとプライドを吸ったり吐いたりする人たちを高尚だと信じてはなりません。生ける霊を持つ神の子だけが高められるのです。その他は哀れな者たちです。その偽りの高揚は大いなる崩壊へと運命づけられており、スキャンダルと恐怖の記憶にしか残りません」。

注

  1. 著者は鉛筆でイザヤ書二章二~四を参照するように書き込んでいる。

    ↩

  2. 十月二十九日の口述で。

    ↩

  3. 著者の鉛筆による書き込みは、二章二十二節。

    ↩