1943年11月4日
十一月四日
わたしの聖書に関する知識を話してほしいというご要望についてですが、前にも申し上げたとおり、わたしが知っているのは四つの福音書だけです。何年も前から記憶しております。また、十三年以上前に、プロテスタント版の雅歌を読んだこともあります。その雅歌は後に、当時聖パオリーノ教会の牧師でいらしたグイディ師(故人)に預けました。教養書でソロモンの箴言を読みました。わたしの知識はそれだけです。
わたしにとって、聖書を読むことは、未知の世界を歩くようなもので、その世界は未知のままです。なぜなら、わたしが理解できるのは表面的な意味と、ページに詰め込まれた注釈に書かれていることだけであり、その注釈は、先生がわたしに与えてくださるものとは違うことに気付いているからです。
生徒だったころ、年齢に合わせた小さな教科書で聖典史を学びましたが、その教科書がどのようなものかは、ご存じのとおりです。最小限の言葉にまで簡略化されています。わたしが覚えたのは、重要な点、事実よりも名前でしたが、実を言うと、アダム、アブラハム、エサウ、モーセ、ロト、ルツ、エステル、その他数人を除いては、何も覚えていません。本当にバカです、間違いありません! 新約聖書については、当時、わたしが知っていたのは、福音書のほかに、書簡に記されている個所、それだけでした。
今では、あなたが手配してくださったおかげで、聖書を自由に使えますが、超自然的な秩序によって、エステル記より先へ進んでいません。実を言いますと、列王記と歴代誌の膨大なページはわたしを眠くさせます。トビト記は大好きですが。その後、先生にしっかり捕えられて、順序よく進むことができなくなり、ヨブ記第十三章で行き詰ってしまいました。残りは、先生が時々説明してくださる点を除けば、わたしには分からない言葉です。
繰り返しますが230、イエズスが沈黙しておられる日に、わたしは愛されているという確信をもって聖書をあちらこちら開いて、読むことすらしません。ある一点を見つめ、イエズスが話そうとしておられると感じるならば、きっとお話しになります。感じないならば、別の場所を開いて、お話しになるかと待ちます。聖書の一八三八ページの中から適当に開くことを三回か四回試みて、イエズスがお話しにならないと分かったなら、諦めて、前回止まった所から読み始めます。今は七二九ページです231。
これがわたしのできる精一杯の詳述、従順です。それに、わたしは多くの障害に直面してきました。繰り返される邪魔やら、病気によって引き起こされためまいなどですが、昨日の病状は、医師から非常に重篤と診断されたほどでした。わたしの肺と心臓の状態は、あらゆる人間の恐怖の対象です。そして、わたしにとって、あらゆる超自然的喜びの対象です。
脈は非常に弱く、糸のように細く、不整脈で、低下傾向にあります。わたしはそれを感じます。わたしは無駄に看護師だったわけではありません。いつ麻痺に襲われるかもしれないことを知っています。めまいや失神は、脳貧血や心臓の萎縮によって起こることを知っています。わたしは左肺の半分だけで呼吸し、右肺は枯れ枝のようです。分かっています。でも、これらは、わたしの富であり、わたしの平和の源です。
過去については、神のいつくしみに委ねます。現在については、あなたのお助けに委ねます。未来については、もうすぐわたしの愛する方が、喜びに満ちた太陽のようにほほ笑みかけてくださるという見通しがあります。だから、どのような悪化も、葬式の鐘ではなく、命の始まりが近づいていることを告げるお祭りの鐘のように響きます。
午前九時半。(印象を書き終わって)
イエズスが言われます。
「あなたが言ったとおりです232。それはわらを噛むことですし、わたしは、あなたを真っ白な小麦で育てることを望みます。わらは栄養になりません。腹を満たしても育みません。たくさんの科学も同じことです。あらゆる科学において常に危険視されるのは、神に関する事柄の科学です。けれども、今まさにそうなっています。神学の博士たちは、自分たちが何を扱っているのか、誰に仕えているのか、そしてどのような力について語っているのかを、あまりにも忘れています。彼らはまた、誰に話しているのか、そしてその教えが波のように、それを最初に読んだ人々に直接当たった後、どれほど遠くまで響き渡る結果をもたらすかを忘れています。彼らは『光』になれたかもしれません。実際には光がある場所さえ覆い隠してしまう煙です。
彼らは人間の博識をひけらかすのが好きです。まことに、あなたに告げます。もし金持ちが救われるより、ラクダが針の穴を通る方が容易であるなら、人間的な博識を持つ聖職者、あるいは人間の知識で宗教的な事柄を扱う人が救われるのはもっと難しいでしょう。彼らは、人間の学識に飽食し、貪り、自らの地位を否定して聖なる科学を自ら追い出したことについて責任を負わなければならないばかりでなく、他の人々に与えた計り知れない害悪についても責任を負わなければならないでしょう。他の人々とは、同胞だけでなく、素朴な信者や素朴な人々まで広がります。
まことに言いますが、文化の余計な目くらましなしに、自分の祈りを唱えることしか知らない謙虚な信者の額を照らす光は、ルカ書十六章の金持ちのような人々を恥ずかしさで赤面させるでしょう。彼は、ただ一つの食べ物、いつくしみの食べ物のことを忘れて、食卓の上の食べ物をすべて欲しがりました。そして、いつくしみは彼らを拒むでしょう。彼らに対してケチになるでしょう。彼らはいつくしみを拒み、ケチだったからです。
雅歌には、神と教会、神と霊魂たちとの愛情深い関係が隠されていますが、学識者たちには理解されません。理解できないのです。神を愛する人々だけが、愛に動かされた神の指によって発せられる第八音を聞きます。ほかの人々は、その天の声に耳を閉ざします。それは、声の中での真の女王であり、聖歌隊のように取り巻き、人間の感覚に訴えるのですが、学者たちには理解されません。学者たちは、言葉が立ち上がるところに、まるで神秘的なろうそくのように新たなバベルを作りますが、言葉を理解するのに必要なのは、人間の学識ではなく、魂の純粋さと愛だけです。彼らのために愛はパンとなり、声となり、光となるのに、理解されないのです。
見せびらかす房飾りや経札を外し、清浄な麻の簡素なチュニカを着て、紫色の帯を締めなさい。それは、主キリストの衣服でした──それをあなた方のものにしなさい。清浄よ、宗教の担い手たちよ。清浄をあなた方の衣服にしなさい。清浄な肉体、二倍清浄な心、三倍清浄な思考を。
神の考えを求める人々に、神から離れた、人間の学識に満ちたあなた自身の考えに汚染された考えを与えてはなりません。愛、愛、愛が、あなたの周囲と内にあるように。
あなたの周囲にあれば、たくさんの人に見えるでしょう。あなたの内にあれば、内にあるものの芳香が発散するでしょう。自分が持っていないものを発散させることはできません。自分が理解していないことを適切な声で話すことはできません。
魂に必要なのは科学ではなく、光です。科学のためには、すでにたくさんの書物があり、たくさんの学者がいます。大衆に知恵の言葉を与えなさい。わたしから引き出した知恵の言葉とともに、大衆に与えなさい。
この話はもうよいとして、知恵について、続きを書きなさい233。この注釈を解説の中ほどに入れたのは、それが適切な場所だからです。あなたが従順であるからこそ、わたしはこの注釈をあなたに与えました。従順はわたしを慈悲深くし、これまで以上に先生らしくするからです。良い子の手を握るように、あなたの手を握りましょう。あなたの魂が良い子の魂であればあるほど、わたしはあなたの父であり先生となるでしょう。
『知恵は最初に形づくられた世の父が、造られ、ただ一人であったとき、彼を守った。また彼をその堕落から救い出し、彼に万物を支配する力を与えた』。
地上の楽園で純粋で従順であったアダムは、神から直接指導を受けました。アダムは罪に染まったとき、神の教えを失いました。父親としての最後の世話は、二人に衣服を与え、今や汚染された感覚への刺激になるものを隠す方法を教えることでした。霊的な力の導きがなかったなら、最初の夫婦はどのようにして地上で自制できたでしょうか?
神は常に父です、これを考えない子らよ。そして、たとえ神が攻撃するとしても、それは善意から、善意をもって攻撃するだけです。神はあなた方を裸にして荒廃した道に放り出してひとりぼっちにすることはなさいません。もしあなたが罰を受けるなら、神はそこに霊的な助けを加えてくださいます。しかし、血肉でできたあなた方は、それをありがたく思いません。あなた方は、自分の肉と血にとって喜びであり食べ物となるものだけを望みます。
アダムは、もはや怒れる者の声を聞かなくなりました。けれども、怒れる者は、アダムを光のないままに放置しませんでした。なぜなら、彼は自分の手で作ったものとしてアダムを愛していたからです。彼は、アダムに本能の光と悔い改めの光を与えました。前者は肉体のため、後者は魂のために。真摯な悔い改めによって、彼は救済に値するものとなり、本能によって物事を支配しました。
知恵以外の何物でもない光は、子どもたちにとっては進歩の教師でした。知恵を拒み、誤り、すなわちサタンに耳を傾けた者たちは、それほど進歩しませんでした。サタンは、無実の者たちを消滅させた火打石を手にしていました。
知恵は正直者に指示しました、人類と獣の種族を、世界が下水道となった大海の罰から救うように。
知恵は、アブラハムに大きな犠牲をさせ、彼の父親としての心を救いに導きました。それはちょうど、正しく従順な人を天から降る火から導き出したのと同じです。
知恵は、純粋な心と正しい考えをもって知恵に身をゆだねる人を見捨てません。しかし、自分の食べ物と自分の道を選ぼうとする者から離れます。彼らは、誤りの道をたどりながら、死の食べ物を食べます。
太陽が天空に高く昇るにつれて明るく輝くように、知恵も、それを愛する方法を知っている者たちの上にますます高く輝きました。知恵は、霊的進歩と知的進歩をもたらしました。知恵はシナイの奇跡の中で輝き、人々に不変の律法を与えました。だから、あなた方が飲む血を前にして、あなた方の頑固さの殻がはじけるとよいのですが。それというのも、地の川や海は血に変わっていますし、あなた方にパンとブドウ酒を与える穀物の穂やブドウの房は血によって養われているからです。あなた方が今こそ自分を開いて、エジプトのユダヤ人のように知恵を受け取るとよいのですが。
子どもたちよ、これもまた、いつくしみの罰です。あなた方が、それを正義の罰に変えています。わたしを容赦のない王ではなく、父だと認めなさい。わたしを王にしなさい、愛の王、あなた方の家の王、父、あなた方の父に。裁く者ではなく。
あなた方は皆──わたしに生きる者も、わたしから離れた者も──同じように苦しめられているのではありませんか? 前者は人間が与える苦しみによって、後者は神によって慰められない苦しみによって。あなた方は皆、今、地上で苦しんでいませんか? 飢餓は中立者にも襲い掛かり、疫病による虐殺、新たな災厄の危険は、遠く離れた人々、最も中立的な人々にさえも襲い掛かります。
救われるためには、わたしのところに来なさい。失った物質的な豊かさだけを悔やむのではなく、神から遠ざかったことへの後悔の念で泣きなさい。泣きなさい、ただし、胸をたたきながら、わたしの手に涙を流しなさい。わたしの手があなた方を打ったとしても、それは愛によるものです。あなた方が陥っていた病的な夢から目覚めさせるためです。そのままでは、あなた方は滅びるでしょう。
神でないものを崇拝してはいけません。律法に反する崇拝が、あなた方への罰となることをまだ信じないのですか? 信じなかった、知らなかったと言ってはいけません。この百年間、わたしは『声』と顕現を増やしています。どちらも、あなた方をわたしの道へ呼び戻すための善意の奇跡です。この百年間、あなた方をわたしの律法に呼び戻すための罰を重くしています。あなた方は、何も期待しません。神が遠ざかれば遠ざかるほど、あなた方は神を呼ばずに離れて行きます。
あなた方の正確な呼び名をどうしましょうか? 『悪意』と呼びましょう。なぜなら、あなた方は悪意に満ち、悪意に身を売ったからです。
いいえ。あなた方は、わたしを責めることはできません。あなた方を滅ぼしているのはわたしではありません。子どもたちの揺りかごにかがみこむ父親のようにあなた方を見守っている愛に扉を閉め、サタンに扉を開けたのはあなた方です。
わたしの正義は受動的ではいられません。その正義において、わたしは依然として寛容です。災難の降り注ぐ中で、わたしはあなた方に思い出させます。わたしは神であり、わたし以外にだれもいません。わたしは全能、完全であり、あなた方は泥です。泥でいられるのは、恵みの作用があるかぎりで、聖なる露の恵みがなければ塵になってしまいます。思い出しなさい、わたしから遠ざかる者はだれでも、行き過ぎに陥り、破滅を招くということを。思い出しなさい、人の言葉と約束は、しばしば稲妻となって消え去る雲のようなものです。救うのはただ一つ、あなた方の神の言葉と約束だけです。
そして、もしあなた方が悪魔崇拝者の主張に乗って、罪人を罰する際には正義の人も一緒に罰せられる234と言うなら、わたしは彼らを殺したのはわたしではなくあなた方だと告げ、その血の責任を問うでしょう。おお、ハイエナの種族よ、お前たちは引き裂くだけで生きる。おお、蛇の種族よ、お前たちは毒で精神と心を絞め殺したり汚染したりしながら通り過ぎる。
いいえ、神が何であるかを知らなかった者たちには厳しくしません。しかし、あなた方キリスト教徒、ユダたちには、容赦なく厳しくします」。