1943年11月1日
十一月一日
主イエズスが言われます。
「わたしの聖徒たちに知恵を与えたのはわたしです。わたしがその知恵の絶対的な所有者です。わたしの知恵を人々の間に広めるために、愛する人に話しかけるのはわたしです。わたしの知恵の担い手になるために自らをささげた者たち、選ばれた者たちを、わたしは感謝の念をもって祝福します。彼らに報いるのはわたしです。なぜなら、知恵への愛は神への愛だからです。知恵を知ったならば、神への反逆はあり得ません。知恵を愛する人はその源を愛する、つまり神を愛します。神を愛する者は報酬を得ます。
だから、常に栄光を目指すあなた方は、この本物の永遠の栄光を目指しなさい。地上の王笏と名声を捨て、至福の神聖さという不滅の栄冠と名声を得るように努めなさい。知恵を得るよう努力しなさい。そうすれば、地上にいるときから、あなたはすべてを手に入れるでしょう。なぜなら、神を手に入れるからです。神は、あなたの中で語り、あなたを導き、あなたを慰め、あなたを高め、あなたをわたしの友、そして、至高の神の預言者にしてくださるでしょう。そのとき、あなたは自分の器官や能力によるのではなく、あなたの中に生ける神の幕屋としておられる神の視覚と精神によって理解し、話し、見るでしょう。
ああ、親愛なるきょうだいたち、あなた方は、わたしの母がわたしを子宮に宿し、わたしが母に愛の活動を伝えたときのようになるでしょう。マリアは、生ける者、賢き者、聖なる者の最も貴重で貞潔なベールであり、天使以上の純粋さによってすでに知恵に満ちていましたから、愛が彼女を受肉した知恵の母としたとき、知恵と一体でした。聖体拝領で心の中にわたしがいるときのあなた方と同じで──神において生きたいと願う心が必須条件ですが──あなた方はわたしと一つになり、形態が消えた後も、崇拝の愛をもってわたしの中に留まることができます。
わたしのためにマリアになってください。あなたがたの中にキリストを宿してください。世界に無用な学問が溢れる中で、真の知恵を伝える者が必要です。そして、わたしを自分の中に持つ者、いや、むしろわたしの中に自分を無化する者は、たとえ言葉を発さなくても、その行いによって知恵を伝えます。なぜなら、その行いは神をあかししているからです。
そして、目の見えない人や耳の聞こえない人、霊的に無知な人に対する憐れみから、わたしは、人を選び、その手と唇に声とペンを与えます。そうすることで、神の霊が再び聞かれ、迷った人々が救われ、誤った方向に進んでいる人々が正しい方向を見つけ、倒れた人びとが再び立ち上がり、『いつくしみ』という名を持つ神を信頼できるようになります」。
同じく十一月一日、十二時三十分、わたしをとても苦しませたMC219からの不信仰告白の後で。
イエズスが言われます。
「これらの哀れな人びとを何にたとえたらよいでしょうか? 外には太陽が輝き、近くには愛情と食べ物があるのに、外に出ることも、食べることも、話すことも拒否し、野獣のように暗い巣穴に逃げ込み、飢え死にしてしまうような不幸な狂人たち。
彼らは誤りと恐怖と、そして時には憎悪の極みです。忍耐と慈悲と愛、そして痛みによって満たされなければなりません。彼らの考えに耐える忍耐。彼らの霊的らい病に嫌悪を感じても彼らを愛する慈悲。愛。愛は勝利者であり、すべてのものの中で最も強力な薬です。そして痛み。命と光を与えるためには、ランプが燃え尽きても輝き、麦の粒が死んでも食料となるように、死ななければなりません。
これらを与えなさい。それだけで十分です。言葉は無駄です。これらの霊魂はサタンによって耳を塞がれているのですから。サタンは彼らが聞こえないようにしています。まず、サタンを倒さなければなりませんが、サタンを倒すのは議論ではなく、祈りと苦痛です。サタンは議論において、自分の教義を人々に説得する達人です。
あなたが苦しむのは当然です。それらの言葉は、わたしの体を傷つける前に、あなたの体を通過しました。なぜなら、あなたはあなたの王を守るために、世界と主との間に身を置いたのですから。これが犠牲者の役割です。けれども、わたしはあなたのすべての傷に口づけし、一つ一つにこう言います、『マリア、あなたの愛に感謝します。その愛が祝福されますように』と」。
今は午後四時。わたしはめったにない一人の時間を楽しんでいます。
わたしを囲む声に耐えることの難しさに、今日、二重の難しさが加わりました。あなた220がご存じのように、わたしは、わたしが全身全霊で愛している『声』だけを聞きながら、あるいはその『声』だけを聞き、思い出しながら生きていたいのですが。『無知な言葉』と言いましょうか、そういう声を聞くという難しさです──わたしにそのような崇高な指示を与えた慈悲は、わたしに自然に浮かんだ言葉を書くことを禁じています。わたしは、善き主が無知を憐れんでくださることを願います。そして、無知を広く公言した無知な人が、まさにその無知ゆえに赦されることを願います。
わたしはこれによって非常に苦しみ、まさにむち打たれているかのようでした。彼は明らかにそれを理解していて、埋め合わせのためにわたしにお菓子を持ってきました。そのお菓子の、なんと苦かったことでしょう。聖体の神への冒涜に満ちたお菓子! あまりにもつらくて、話すことができず、いや、話す気もなく、わたしは黙っていました。でも、わたしの顔が語っていたことでしょう。
午後になって、わたしは沈黙していたいとパオラ221に言いました。過剰な言葉は疲れた体を疲れさせるからです。そして、ほかの人たちに伝えてもらいました。でも、乱され、苦しんでいるのは体ではなく、精神でした。できれば、一日十八時間は一人で過ごしたいです。あるいは、少なくともわたしを理解し、神がわたしに課している恐ろしくも神聖で甘美な要求を知り、尊重してくれる人と一緒にいたいです。
ご覧のように、わたしのイエズスは、十二時半に話してくださった言葉でわたしを慰めてくださいました。けれども、ある魂に関して聞いた事柄や、状態を観察したことによる苦味は残っています。
さて、穏やかな静寂が終わり、わたしも書くのをやめます。パオラが写真に「あなたを愛しています。そして、あなたに感謝しています。あなたのそばにいることで、神に近づいているように感じます」という言葉を添えて贈ってくれて、本当にうれしかったです。良かった! 彼を一緒に連れて行くことはできなくても、彼女を連れて生きましょう。彼女はまだ若いし、多分一家の母となる222でしょうから、神に心を奪われるのは良いことです。