1943年10月31日
十月三十一日216
イエズスが言われます。
「死には二種類あります。これについては、すでに説明しました217。小さな死、つまり、あなた方を地上から連れ出し、魂を肉体から解放する死です。そして、大きな死、つまり、あなた方の魂という不滅なものを殺す死です。小さな死からは復活があります。大きな死からの復活はありません。あなた方は、命から永遠に切り離されるでしょう。つまり、あなた方の命である神から。
動物は本能の秩序に従い、食物、結婚、住居の選択を規制する方法を知っていますが、もっと愚かなあなた方は、自然の秩序と超自然的秩序に常に従わず、しばしば第一、第二の死を自ら招いています。節制の欠如、虐待、無分別、愚かな風習、快楽、悪徳は、あなた方が錯乱して振り回す武器のように、あなた方の肉体を殺します。そして、悪徳と罪はあなた方の魂を殺します。わたしは、『過ちの生活を送って死を求めるな。自分の手の業によって滅びを引き寄せるな』と言います。
前に言った218ように、万物を創造した神は、死を創造しませんでした。何千年と輝いてきた太陽は神の作品です。宇宙で回転する地球の境界内に収められた海は神の作品です。大空に巨大な宝石箱から散らばった宝石のように輝く無数の星は神の作品です。動物や植物は神の作品です。象やバオバブのような巨大なものから、苔の繊毛や小さなイチゴバエのような細かいものまで、あらゆるものが神の作品です。あなた方人間は神の作品です。碧玉よりも固い心と、永遠なる神によって土の奥深くに創造され埋められたダイヤモンドよりも鋭い舌を持ち、何千年もの分解で地球の地層に造られた石炭よりも暗い思考を持ち、宇宙の鷲のように強力な知性と、猿のように頑固で反抗的な意志を持ち合わせています。
けれども、神は死を創造しませんでした。それは、あなた方がサタンと結婚したことによって生じたのです。地上の時間の流れにおいて、あなた方の父であるアダムは、息子を生む前に死を生みました。彼はその日、女の弱さに弱らされ、誘惑された女の意志に屈し、だれも犯したことのない罪を犯しました。蛇の威嚇音のもとで罪を犯し、天使の涙と赤面を呼びました。けれども、小さな死は、周期を終えた葉が落ちるように、肉体だけが落ちるのであれば、大きな悪ではありません。むしろ、それは善です。なぜなら、それはあなた方を、あなた方が来た場所、そして父があなた方を待っている場所へと導くからです。
神は肉を死なせなかったように、霊も死なせませんでした。実際、神はあなた方がすでに死んでいたときに、永遠の復活者である御子を遣わして、あなた方に命を与えてくださいました。ラザロ、ナイムの若者、ヤイロの娘の奇蹟は、特に注目すべきものではありません。彼らが眠っていたので、わたしは彼らを起こしました。一方、マグダラのマリア、ザカイアス、ディスマ、ロンギヌスといった霊的に死んでいた人々を『主に生きる者』に変えたときの奇蹟は素晴らしいものでした。
主の中で生きること! 美しさ、喜び、持続、輝きにおいて、これより素晴らしいものはありません。子どもたちよ、それを信じて『生きる』よう努めなさい。あなた方は三位一体の神の中に生き、父の中に生き、永遠に生きます。
地球を地獄と呼ぶあなた方、あなた方が惨忍なシステムで地球をどれほど地獄のようにしたとしても、サタンのすみかに比べれば楽園です、地獄をあなた方の魂の最終目的地にしてはなりません。あなた方の霊魂の楽園である神を目的地にし、地獄は冥界、罪深い者、呪われた者たちに与えなさい。彼らは命を堕落した心に嫌悪感を与える食物として拒否し、死を歓迎したのですから、死を受けて当然です。
たとえ地上のすべてが終わったとしても、短期間邪悪に見えることは小さな悪に過ぎないでしょう。人々はすぐにそれを忘れるでしょう。記憶はすぐに消えてしまう煙のようなものです。けれども、地球はすべてではありません。すべては他のところにあります。そして、その『すべて』の中で、あなたが地上で行ったことが待ち受けているでしょう。
審判は逃れられません。これをよく考えなさい。そして、神があなた方に与えた遺産を、狂気の人のように無駄にすることなく、あなた方の不滅のために結実させなさい。主において生きた人は死にません。彼らにとって、この世で苦痛、挫折、試練だったものは、来世で報酬、勝利、喜びに変わるでしょう。
また、神による地上の富と寿命の長さの分配を不公平だと思ってはいけません。これは、すでに神から離れている者たちが考えることです。主に生きる人々は、窮乏、苦痛、病気、死を喜びとします。なぜなら、すべてのことにおいて父の御手を見るからです。父は彼らを愛し、有益で良いものだけを与えることができます。結局のところ、それらは、神が子であるわたしにお与えになったものです。
すでにこの世から追い出された彼らは、神の栄光だけを考え、望んでいます。神は、彼らに永遠の栄光を授けるでしょう。邪悪な者は忘れられるか、恐怖とともに記憶されるでしょう。しかし、聖人、義人、神の子らには、永続的で神聖な崇拝がささげられます。なぜなら、主は愛する者たちを気遣い、天国、つまり主自身で彼らに喜びを与えるだけでなく、人々から真の栄誉を与えられるよう配慮し、聖人の霊を人々の目と心の中で新星のように輝かせるからです」。