手記 Quaderni

1943年10月21日

 十月二十一日

 イエズスが言われます。

「煉獄の霊魂についての解説207を再開しましょう。

 あなたが意味を全部理解したかどうかは、問題ではありません。これは、すべての人のためのものです。なぜなら、誰もが、愛する人の何人かが煉獄にいるものですし、ほとんど全員が、その生き方によって煉獄に立ち寄る運命にあるからです。この人たちのために、わたしはこれを続けることになるでしょう。

 煉獄の霊魂は、愛のために苦しみ、愛で償うだけと言いました。この償いの仕組みは、次のとおりです。

 反省の足りない人たちよ、わたしの掟の助言と命令を注意深く検討するなら、それが完全に愛に基づいていることが分かるでしょう。神への愛、隣人への愛。

 第一の掟で、神であるわたしは、あなた方にわたしの本性にふさわしい厳粛さで、敬虔な愛を、わたしにささげるように命じます。あなた方が無であるのに比べて、『わたしはあなた方の主なる神です』。

 あなた方は、このことを忘れがちです。おお、自分を神だと思う人間たち、あなた方のうちに、恵みによって生かされる霊魂がないならば、あなた方は、塵と腐敗に過ぎません。あなた方は動物です。獣性と獣が持つ知性の狡猾さを持ち合わせた動物です。獣は、あなた方に獣の行為をさせます。獣よりも悪い、悪魔のような行為を。

 朝も夜も、自分に言い聞かせなさい。昼も夜中も、自分に言い聞かせなさい。食べるとき、飲むとき、寝るとき、起きるとき、働くとき、休むとき。愛するとき、言いなさい。友情を結ぶときに言いなさい。命令するとき、従うとき、言いなさい。いつも言いなさい、『わたしは神ではない。食べ物、飲み物、睡眠は神ではない。労働、休息、仕事、天才の作品は神ではない。友情は神ではない。上司は神ではない。神はただおひとり。わたしの主は、わたしに命を与えてくださった。わたしが命を用いて、決して死なない命を得るために。わたしに服と、食べ物と、住む所を与えてくださった。暮らしを立てるように仕事を、地上の王であることを証明できるように創造力を与えてくださった。愛する能力と、欲によってではなく神聖に愛されるべき被造物たちを与えてくださった。破滅の手段ではなく聖化の手段として用いるように、力と権威を与えてくださった。彼が「お前たちは神々」と言われたから、わたしは彼に似た者になれる、ただし、わたしが彼の命、つまり、彼の掟を生きる限り。彼の命、つまり、彼の愛を生きる限り。神はただおひとり、つまり彼だけ。わたしは彼の子、家来、彼の王国の相続人。けれども、もし、わたしが脱走し、裏切ったら、もし、わたしが人間的な意味で王であり神でありたいと願う自分の王国を築いたら、真の王国を失うことになる。神の子としてのわたしの運命を放棄し、サタンの子に堕落することになる。人間は利己主義と愛に同時に仕えることはできないから、利己主義に仕える者は神の敵に仕えることになり、愛を失う、つまり、神を失うことになる』と。

 あなた方の思いや心が据えた、偽りの神々をすべて取り除きなさい。まずは、あなた方がわたしのうちに住んでいないときの泥の神を。わたしがあなた方に与えたものは、わたしのお陰であることを思い出しなさい──あなた方の生き方が神の両手を縛らなければ、もっと与えたはずでした──わたしがあなた方の日常生活と永遠の命のために与えたものを思い出しなさい。神は、あなた方の永遠の命のために、御子を与えました。それは、彼が汚れのない子羊として犠牲にされ、その血であなた方の負債を洗い流し、モーセの時代のように、『わたしを憎む人たち』の罪が、四代目の子孫にまで降りかからないようにするためです。それというのも、罪は神に対する罪であり、罪を犯す人は憎む人たちだからです。

 偽りの神々のための祭壇をこれ以上建ててはいけません。石の祭壇ではなく、あなた方の心の生きた祭壇に、唯一無二の神、あなた方の主を持ちなさい。彼に仕え、愛の真の崇拝をささげなさい。愛、おお、愛する方法を知らず、ただ言葉だけで祈る子どもたち、神を喜ばせるのは、愛を祈りにすることだけなのに。

 忘れないでください、わたしを愛するあなた方の心の炎から香の雲のように立ち昇る愛の真の鼓動は、限りなく価値があることを。それは、なまぬるい心や冷えた心で行われる何千もの祈りや儀式よりも、はるかに価値を持ちます。あなた方の愛で、わたしの慈しみを引き寄せなさい。わたしを愛する人へのわたしの慈しみが、どんなに活発で偉大であるか、あなた方が知りさえしたら! それは、あなた方の汚れを構成するものを追い越して洗い流す波のようです。それは、あなた方に天の聖都に入るための真っ白なストラを与えます。そこでは、あなた方のために自分を犠牲にした子羊のカリタが太陽のように輝いています。

 聖なる名を、習慣で、あるいは、怒りを強めるため、苛立ちを発散させるため、あるいは、呪いを強めるために使ってはいけません。何よりも、あなた方が官能的な飢えや心的崇拝から愛する人間という生き物に、『神』という言葉を用いてはいけません。その名は、唯一者であるわたしに対してのみ用いられるべきです。そして、愛と信仰と希望をもって、わたしに向けられなければなりません。そのとき、その名は、あなた方の力と守りになるでしょう。この名を崇拝することは、あなた方を正当化するでしょう。なぜなら、わたしの名をしるした行動を行う者は、悪事を行うことができないからです。わたしが言っているのは、真実に行動する人のことです。わたしの聖なる聖なる聖なる名の輝きで、自分自身と自分の行いを隠そうとする、うそつきのことではありません。彼らは、誰を欺こうとしているのでしょう? わたしは騙されません、彼らにも騙されません。彼らが知的障害でない限り、うそつきの行動と彼らの言葉を比べれば、彼らが不誠実であるかどうか分かり、彼らに対して憤りと嫌悪を感じます。

 あなた方は、自分自身や自分の金しか愛せません。そして、自分の肉体の満足や財布を膨らませることに費やされない時間は無駄だと考えます。貪欲で野蛮な人間として楽しんだり働いたりする中で、ひと息つきなさい。そして、神について、神の善良さ、辛抱強さ、愛について考える時間を持ちなさい。繰り返しますが、何をするときにも、常にわたしを心に抱いていなさい。あなた方は、神に精神を固定したまま働く方法を知りませんから、週に一度、働くのをやめて、神のことだけを考えなさい。

 これは、あなた方には厳しい掟と思われるかもしれませんが、そうではなく、神がどれほどあなた方を愛しているかのあかしです。あなた方の善い父は、あなた方が連続使用に耐えられない壊れやすい機械であることを知っていますから、あなた方の肉体のためを思って──それも神の仕事ですから──七日のうち一日休むようにと命令して、適切な休息を取らせました。神は、あなた方が病気になるのを望んでいません。アダム以来、あなた方が本当に神の子であり続けていたなら、あなた方は病気を知らなかったでしょう。これらは、苦しみと死とともに、あなた方が神に従わなかったことの結果です。そして、菌床からキノコが育つように、最初のアダムの不服従の根の上にそれらは生まれ、芽を出し、成長します。悲劇的な連鎖です。あなた方の心に残った菌や、呪われた蛇の毒から。蛇は、あなた方に熱を与えます、強欲、貪欲、暴食、怠惰、さまざまな非難すべき軽率さなどの。

 そして、この軽率さは罪深いです。もうけのために継続労働の生活を強制し、口や感覚を過剰に楽しませるために必須以上の食べ物を食べ、種の存続に必要な伴侶に満足せず、沼地の動物のように底なしの欲望を満足させ、疲れ果てて、獣のようですーーーーいえ、獣のようではありません、彼らの結合は、秩序の法則に従うという点において、あなた方よりも優れています──あなた方は獣以下に自分を貶めます。正しい本能、理性、神の神聖な法則に従わない悪魔のようです。

 あなた方は、本能を堕落させ、堕落した食事を好むようになりました。その食事は、自分の体と心を冒涜する欲望によって成り立っています。体は、わたしの作品、心はわたしの傑作です。あなた方は、生命を否定して、命の胎児を殺します。それというのも、あなた方は、自発的に時期を早めて、あるいは、あなた方のらい病によって、それらを抑制するからです。その病気は、発生期の生命にとって猛毒です。

 あなた方の官能的欲求は、何人の魂を天から呼び寄せ、その後、生命の扉を閉ざしてしまうことでしょう? 終末に近づき、死にかけて、あるいはすでに死んで、光に近づいた何人に、あなた方は天国を拒否しますか? あなた方は、苦痛と恥ずべき病気を特徴とする不健全な生活をとおして、何人に常に耐えられない苦痛の重荷を負わせていますか? 肉体に焼き印を押すような、この種の望まれない殉教に抵抗できない人が何人いるでしょう? でも、その焼き印は、腐敗物で満ちた墓のように堕落している人間が、もはや子どもを産んで苦痛と社会の嫌悪に陥れることは合法ではないと反省せずに押したものです。この運命に抗えずに自殺する人が何人いるでしょう?

 でも、どう思いますか? わたしが、神と彼ら自身に対するこの罪のために、彼らを罰すると思いますか? いいえ。彼らの前に、あなた方を罰します。あなた方は、三者に対して罪を犯しています。神と、あなた方自身と、罪のない人に対して。あなた方は、罪のない人を絶望に導きました。このことをよく考えなさい。じっくり考えなさい。神は正義です。もし、罪に重さがあるなら、罪の原因にも重さがあります。そして、この場合、罪の重さは、自殺者への非難を軽くしますが、絶望した子どもたちの真の殺人者であるあなた方への非難を重くします。

 神が週のうちに定めた休みの日、あなた方に休みの模範を与えてくださったその休日に、考えなさい。彼、無限の主体、自身を絶えず生成する生成者は、あなた方に休息の必要性を示し、あなた方の人生の先生となるために休みました。そして、あなた方は、自分が無力な者でありながら、神よりも強力であるかのように、それを無視したがるのですか? 過度の疲労で肉体が傷ついた休日に、霊魂の権利と義務を気遣う方法を知ってください。それは、真の命への権利です。霊魂は、神から切り離されれば死にます。あなた方の霊魂に日曜日を与えなさい──毎日、毎時間そうすることはできないでしょうが──日曜日には、霊魂が神の言葉で養われ、神で満たされ、週日の活力を得られるように。息子にとって、一週間離れていた父の家での休息は、なんと心地よいのでしょう! あなた方の霊魂に、この心地よさをなぜ与えないのですか? どうして、この日を、現在と未来の祝福のための明るい光とせずに、暴飲暴食や渇望で汚すのですか?

 そして、あなた方を造った者を愛した後、あなた方を産んだ人たちを愛し、兄弟姉妹を愛しなさい。神がカリタであるなら、カリタにおいて彼に似ようとせずに、どうして、神のうちにいると言えますか? 彼だけを愛して、彼によって造られた人たちを愛さないなら、どうして、神に似ていると言えますか? そう、神は何にも増して愛されなければなりません。けれども、神が愛する人たちを愛することを軽蔑する人たちは、神を愛しているとは言えません。

 そして、その次に、あなた方を産んだ人たちを誰よりも愛しなさい。彼らはあなた方をこの地に造った第二の創造者です。最高の創造主は、主である神です。彼はあなた方の魂を形成し、生と死を支配する者として、あなた方が生命に入れるようにします。しかし、第二の創造主たちは、二つの肉体と二つの血から新しい一つの肉体を造る人たちです。新しい神の子、天国の未来の新住民を。あなた方が創造されたのは天のためですから、あなた方は地上で、天のために生きなければなりません。

 おお、父と母の崇高な威厳! 聖なる司教職──わたしは、大胆ながら真実の言葉を伝えます──夫婦愛の聖油で神の新しい召使たちを聖別する彼らは、子どもたちを母の涙で洗い、父の労働で服を着せ、頭に神の知識を吹き込み、無垢な心に神の愛を吹き込むことによって、子どもたちを光の運び手とします。まことに言いますが、親が神よりも劣るのは、ほんの僅かです。事実、彼らは新しいアダムを造ります。けれども、それ以上に、親が新しいアダムを新しい小さなキリストにすることができるなら、彼らの威厳は、永遠なる者よりも一段低いだけです。

 だから、あなた方の主である神に向けるべき愛に次ぐ愛で、両親を愛しなさい──夫婦愛で『一体』となる両親は、神の二重の顕現です。彼らを愛しなさい。その威厳と働きは、あなた方にとって、神とそっくりです。両親は、あなた方の地上の創造者ですから、あなた方はすべてにおいて、彼らを創造者として尊敬しなければなりません。

 そして、おお親たちよ、子どもたちを愛しなさい。あらゆる義務には、付随する権利があることを忘れてはいけません。もし、あなた方の子どもたちが、あなた方に神に次ぐ最大の尊厳を見出し、神にささげるべき完全な愛に次ぐ最大の愛をあなた方に与える義務があるなら、子どもたちのあなた方に対する概念と愛を損なうことがないよう、あなた方は、完璧である義務があることを忘れないでください。

 忘れてはいけません、肉体を産むことは大変なことですが、何でもないことでもあります。動物も肉体を産みますが、しばしば、あなた方よりもよく面倒を見ます。けれども、あなた方が産むのは、天の住民です。このことをよく考えなければなりません。あなた方の子らの霊魂の光を消してはいけません。あなた方の子らの霊魂の真珠を泥に慣れさせてはいけません、真珠が泥の中に沈んでしまうことがないように。あなた方の子らに、神聖な愛を与えなさい。肉体的な美しさや人間の文化への愚かな心配をしてはいけません。そうではなく、あなた方が気を配らなければならないのは、彼らの魂の美しさ、彼らの精神の教育です。

 親の生活は犠牲です、使命を自覚している聖職者や教師のようです。この三者の共通点は、死なないものを『形づくる人』だということです。精神、あるいは、プシュケと呼びましょうか。精神と肉体の比率は千対一ですから、親、教師、聖職者は、本来あるべき姿になるためには、どのような完全性を達成すべきか、よく考えなさい。『完全性』です。『形成』では、不十分です。彼らは他者を形成しなければなりませんが、出来損ないにならないように形成するためには、完璧なモデルに基づいて形成する必要があります。彼ら自身が不完全であったなら、どうしてそうなれと主張できるでしょう? また、神である完璧な者をモデルにしていないならば、どうして彼ら自身が完璧になれるでしょう? 人間が神をまねるには、どうすればよいでしょう? 愛です。常に愛です。あなた方は、加工前の、形のない鉄です。愛はあなた方を浄化し、溶かし、流動体にする炉です、超自然的な血管を通して神の型に流します。すると、あなた方は、ほかの人の『形成者』になります。それは、あなた方が神の完全性にならって自分自身を形成した後です。

 子どもは、しばしば親の精神的失敗を体現します。子どもを見れば、親の価値が分かります。時には堕落した子どもが信心深い親から生まれることが真実であるとしても、それは例外だからです。一般に、両親のどちらかが不信心だと、善よりも悪を模倣する方がたやすいため、子どもは善くない方を模倣します。また、堕落した両親から信心深い子が生まれることがあるのも真実です。ただ、この場合も、両親が二人とも堕落しているとは考えにくいです。代償の法則により、二人のうちの善い方が二人にとって善いものとなり、祈りと涙と言葉によって、子どもを天国のために形成する両者の仕事を成し遂げるものです。

 いずれにしても、おお、子らよ、あなた方の両親がどんな人であったとしても、わたしは言います、『裁いてはいけません。ただ愛しなさい。ただ赦しなさい。わたしの掟に背かない限り、ただ従いなさい。あなた方には、従順、愛、赦しの功徳が与えられます。マリア、あなた方子どもの赦しの功徳は、両親に対する神の赦しを促進します。赦しが完全であればあるほど、それは促進されます。親には、あなた方と神に関することで、責任と正しい判断が与えられます。神は、唯一の審判者です。

 言うまでもなく、殺人は愛の欠如です。神への愛の欠如です。神は、自らの被造物の生死の権利、審判者の権利を持っていますが、それをあなた方は奪い去ります。神だけが審判者、聖なる審判者であるというのに。人間が犯罪と処罰を抑制するために正義の組織を作ることを神が許したとしても、過ちを犯した同輩や、過ちを犯したとあなた方が信じる人よりも、自分の方が上であると思い上がって人間の正義に反するなら、神の正義に反することになり、嘆かわしいことです。

 おお、哀れな子らよ、よく考えなさい。侮辱や痛みは精神と心を動揺させ、怒りや痛みはそれ自体、あなた方の知的視野にベールをかけ、神があなた方に示してくださる確かな真実と慈しみを見えなくさせます。見えていれば、たとえ正当な憤りであっても、制御する方法を知り、冷酷過ぎる非難による不当な行為を避けることができます。侮辱されて苦しんでいるときでも、聖なる者でありなさい。そのときはとりわけ、神を思い出しなさい。

 そして、地上の審判者であるあなた方も、聖なる人でありなさい。あなた方の手には、人類の恐怖の最も強烈なものがあります。神に染まった目と心で、それらを精査しなさい。ある形態の『堕落』の真の『理由』を見つけなさい。もしも、それらが人類の評判を貶める『堕落』の実形態であったとしても、その原因はたくさんあります。人を殺した手には、殺すように動かした力があるはずです。そして、自分も人間であることを忘れてはいけません。あなた方が裏切られ、見捨てられ、からかわれたとしたら、目の前で判決を待っている人よりも自分は善い人間だったかどうか、自問しなさい。自分自身を厳しく吟味しなさい。子どもを殺した真犯人はあなただと女性から告発されはしませんか? 幸せな時間を過ごした後、名誉ある義務を回避していませんか? できれば、厳しく吟味してください。

 けれども、自分の欺瞞と欲望から生まれた被造物に対して、罪を犯してしまったとしても、神から赦しを得たいと望むのであれば、少なくとも積極的に悪を防ぎなさい。女性の無責任と悲惨な環境が悪習や幼児殺しを引き起こしやすい所では特に。神は欺かれることなく、あなた方が何年も正しい生活を送った後でも、かつて間違いを修正したがらなかったことや、過ちを犯したことを忘れません。

 おお、人間たちよ、覚えておきなさい。わたしは不名誉な女性たちを罪から救うことを拒みませんでした。そして、彼女たちが失った名誉の代わりに、彼女たちの魂の中に悔い改めの生きた花を咲かせました、汚れた土から咲く花のように。わたしは、いわゆる『愛』が泥の中に弱らせた、哀れで不幸な人たちに、わたしの慈悲の愛を与えました。わたしの真の愛は、いわゆる愛が彼女たちに植え付けた欲望から、彼女たちを救いました。もし、わたしが彼女たちを呪って逃げたとしたら、彼女たちを永遠に失っていたでしょう。わたしは、世界のためにも、彼女たちを愛しました。世界は、彼女たちを楽しんだ後に、偽善的な嘲笑とうそっぽい軽蔑を浴びせます。わたしは罪の愛撫ではなく、純粋な視線で彼女たちを愛撫しました。錯乱の言葉の代わりに、彼女たちに愛の言葉を与えました。彼女たちの接吻の恥ずべき代価である金銭の代わりに、真理という富を与えました。

 泥の中に沈む人がいれば、こうして引き上げようとするものです。そして、首にしがみついてもろともに沈むようなことや、石を投げてさらに深く沈めるようなことはしません。愛です。救うのは、常に愛です。

 愛に対する姦淫がどんな罪であるかについては、すでに話しました208から、今は繰り返しません。この動物性への逆流について、言いたいことはたくさんありますが、多過ぎますし、家庭の裏切り者であることを自慢するほどのあなた方には、理解できないでしょう。わたしの小さな弟子への配慮から、沈黙を守ります。疲れ果てた生き物の力を消耗させ、人間の残酷さで彼女の魂を乱すようなことはしたくありません。彼女は目標に近づき、天国のことだけを考えています。

 盗む人は、明らかに愛に反しています。彼が自分にしてほしくないことは他人にもしないということを覚えていて、他人を自分と同じくらい愛していたら、暴力と詐欺で隣人のものを奪うことはないでしょう。それゆえ、愛に欠けることはないでしょう。むしろ彼は、商品、金銭、仕事の窃盗を犯すことによって、愛に欠けるのです。あなた方は、友人から仕事を盗み、同僚から発明を盗み、なんと多くの盗みを犯していることでしょう! あなた方は、三倍の泥棒です。財布や宝石を盗んだ場合よりも悪いです。なぜなら、財布や宝石は、なくても生きて行けますが、収入の場がなければ死にますし、仕事を奪われた人は家族ごと飢えて死ぬからです。

 あなた方がほかの動物よりも高い地位にある徴として、わたしは言葉を与えました。したがって、あなた方は、わたしから言葉を贈られたのですから、わたしを愛するべきです。しかし、あなた方が、この天からの贈り物を武器にして、偽りの誓いを立て、隣人を破滅させるとき、あなた方はわたしを愛していると言えるでしょうか? いいえ。虚偽の主張をするとき、あなた方は、わたしをも隣人をも愛していず、わたしたちを憎んでいます。言葉は肉体を殺すだけでなく、人の名誉をも殺すということを、考えないのですか? 殺す人は憎む人です、憎む人は愛しません。

 嫉妬は慈しみではありません、慈しみに反します。他人の財産を過度に欲するのは嫉妬で、愛ではありません。自分の持っているもので満足しなさい。考えなさい、見かけの喜びの裏に、しばしば悲しみがあることを。神はそれを知っていて、あなた方を免れさせてくれます。あなた方が羨む人より幸福ではなく見えるあなた方。望む対象が他人の妻や夫であるなら、嫉妬の罪に、情欲や姦淫の罪をも重ねることになります。すると、神と隣人の慈しみに対して、三倍の罪を犯すことになります。

 見てのとおり、十戒に反するならば、愛に反することになります。そして、わたしがあなた方に与えた助言についても同じです。それは、カリタという植物の花です。さて、掟に反することで愛に反するとしたら、罪が愛に反する行為であることは明らかです。だから、愛をもって償わなければなりません。

 あなた方は、地上でわたしにささげられなかった愛を、煉獄でくれなければなりません。煉獄が愛の苦しみにほかならないという理由はこれです。

 あなたは一生の間、掟に従って神を愛したことがほとんどありませんでした。あなたは神についての考えを肩の後ろに押しやり、すべての人を愛しながら神をほとんど愛さずに生きてきました。あなたは地獄へ行くにも天国に行くにもふさわしくありませんから、今、煉獄でカリタに燃えることで天国の資格を得なければならないのは、正しいことです。あなたは地上で、あれほどなまぬるかったのですから。地上で何千回も嘆息し損なったもの、つまり神への愛の償いに、何千時間も嘆息するのは、正しいことです。神は、創造された知性にとって最高の目的です。あなたが愛に背を向けた回数は、何年も何世紀にもわたる愛の郷愁に相当します。あなたの罪の重さに応じて、数年または数世紀かかります。

 今や、あなたは神を確信し、神の至高の美しさに気付き、最初の審判でのつかの間の出会いを通して、その記憶があなたに愛への欲求をさらに強めさせます。あなたは、神を切望し、神の不在を嘆き、その不在の原因が自分自身にあったことを後悔し、悔い改め、慈しみの炎に貫かれることが徐々にできるようになります。その強烈な炎は、あなたの至高の善のためです。

 あなたを愛する生者たちの祈りによって、煉獄の聖なる火に、キリストの功徳が情熱のエッセンスのように投げ込まれるとき、愛の白熱はますます強く、深く、あなたの中に浸透します。炎のきらめきの中で、あの瞬間に見た神の記憶は、あなたの中でさらに鮮明になります。

 地上の生活において、愛が増せば増すほど、生者から神性を隠すベールが薄くなるのと同じように、第二の国でも、浄化が進めば進むほど、したがって、愛が増すほど、神の顔は近づき、よく見えるようになります。それは、聖なる炎の閃光の中で、すでに輝き、ほほ笑んでいます。あたかも太陽の接近のように、その光と熱は浄化の火の光と熱をどんどん打ち消します。そして、当然受けるべき祝福された火の苦しみから、征服され祝福された所有の爽快感へと移ります。あなたは、炎から炎へ、光から光へと移り、上昇し、神の中の光と炎になります。永遠の太陽である神の中で、薪の山に吸収される火花、火に投げ込まれたランプのように。

 おお、喜びの中の喜び! あなた方がわたしの栄光に昇り、期待の領域から勝利の王国へと移ったことに気付くときの喜び! おお、完全な愛についての完全な知識!

 おお、マリア、この知識は神秘です。神の意志によって、心で知ることはできますが、人間の言葉で説明することはできません。死の瞬間にその知識を得るために、一生苦しむ価値があると信じなさい。あなたが地上で愛した人たちのために祈りをささげることほど、大きな慈しみはないと信じなさい。その人たちは、人生で何度も、愛に対して心の扉を閉ざしましたが、今、愛の浄化を始めています。

 隠された真理を明かされる祝福された者よ、来なさい! 進み、行動し、昇りなさい。自身のため、そして、あの世の愛する人たちのために。

 あなたの人生の糸を愛に費やしなさい。あなたの愛を煉獄に注ぎ、愛する人々のために天国の扉を開きなさい。弱く罪深い者を、灰になるまで愛することができるなら、あなたは幸せです。セラフィムが、愛の犠牲によって浄化された魂を訪れ、わたしの王座の足元で歌われる永遠の『サンクトゥス』を教えます」。

注

  1. 十月十七日の口述にあった。

    ↩

  2. 九月二十五日の口述で。

    ↩