手記 Quaderni

1943年10月18日

 十月十八日204

 イエズスが言われます。

「愛──つまり神──を失いたくない霊魂の秘密は、霊魂の力で常に神を見続けることでなければなりません。それについては、あなたにすでに話しました205。

 何をするにしても、あなた方の霊魂をわたしに固定しているように努めなさい。そのようにすれば、あなた方のあらゆる行動は神聖なものになり、神を喜ばせ、あなた方に超自然的に役立つことでしょう。神にとどまることができる人にとって、すべては祈りです。なぜなら、一致とは愛にほかならないからです。愛は、人間の生活における最もささやかな行為でさえも、主への感謝の礼拝に変えます。

 本当のことを言います。教会に何時間もとどまって心のこもっていない言葉を繰り返す人たちと、家や職場で仕事をしながらわたしを愛し、わたしのために隣人を愛して、わたしと一致している人たちとを比較しましょう。後者の行為は祈りですから、わたしは祝福します。前者の行為は偽善であり、わたしから糾弾され、退けられます。

 霊魂が自身の力でわたしの中にとどまり続ける方法を知るという、この愛に満ちた知識に到達できたとき、それは継続的な愛の行為を生み出します。体が寝ている時でも、わたしを愛しています。なぜなら、体はわたしの名とともに眠り、そして目覚めるとき、わたしの思いがそこにありますから、体が休んでいる間も魂は愛し続けるのです。

 おお、霊魂と神との神聖な結婚! それは、人間の目で見ることができない霊的一致ですが、もしも見ることができたとしたら、神と被造物とを囲む火の円が見えるでしょう。そして、神の喜びが増大するにつれて、被造物の栄光は増え、天の聖なる円が、栄光化された額の後光になるでしょう。

 霊魂は肉体に妨害されていますから、時には肉体疲労の反動を受けることがあります。サタンの誘惑、多かれ少なかれ深刻な過失、失望、痛み、人生の出来事などが、他の原因と相まって、霊的生活の訓練がなされていない人々の魂に疲労を引き起こします──ここで過失と言ったのは、霊魂を神から乱暴に引き離す大罪のことではなく、もっと軽い罪のことですが、どんなに軽いと言っても霊的疲労をもたらします。

 けれども、あなた方はそれに抵抗しなければなりません。それは、肉体の衰弱に先立つ倦怠感のようなものです。すぐに対策しない人は悲惨です! けれども、三倍悲惨なのは、霊魂の倦怠と戦わない人です。それは霊的な眠気を引き起こし、ゆっくりと魂の死に向かわせます。

 神は怠け者を愛しません。善い主よりも、自分の安楽を優先する人たちを愛しません。神は、なまぬるい者を罰します。神は引き揚げます。

 あなた方の善い神は、あなた方に目を覚ますように呼びかけ、神を受け入れるように懇願し、あなた方を捜し求めて心配していることを示し、あなた方の心を神に避難させるように求めます。どうして分からないのですか? あなた方の主の最も美しい幕屋は、あなた方の心だということを? 善い神は、あなた方を霊的停滞と霊的怠惰から救いだそうと、あらゆることをします。時には、心の神秘の扉さえも押し開けて、入ろうとします。そして、撤退します。神はめったに暴力を振るわないからです。神は常にあなた方を自由にしておきます。神は、あなた方が自由を悪用するのを見て苦痛であろうと、常にあなた方を自由にしておきます。

 時には──実は、ほとんどいつもですが──霊魂は神の来臨に気付くことがあります。霊魂は、自分が神によって造られたことを思い出し、甘美な戦慄を覚えます。

 あなた方は、霊魂を踏みにじり、その欲望に従いませんが、霊魂はあなた方の中で死ぬことに抵抗します。霊魂が死ぬのは最後です。プライドと欲望のために精神と心が死んでから、死にます。それは、あなた方が、光、愛、命、つまり神を奪うことによって、それを殺したときにのみ死にます。しかし、霊魂が死なないうちは、神の接近に喜び震え、愛で胸をときめかせます。神は近づきます。霊魂のこうした動きを支持したがらない人たちは不幸です。彼らは、軽率にも医師への反抗を繰り返して、病気をますます悪化させ、致命的な状態に陥る病人に似ています。

 霊魂が扉の向こうに神を感じて甘美に溶けるときは、霊魂の動きに従いなさい。肉の心配をすべて捨て、あなた方の高慢な肉体をひざまずかせなさい。あなた方の中に閉ざされている女王の権利、王に従いたい女王の権利を認めなさい。王の優しさを崇めなさい。王は、あなた方が閉じ込めていた霊魂を愛するために、あなた方の所へ来てくださいます。あなた方がとても心配しているこの肉体のために本当に役立つことを、あなた方は何も知りませんが、王は、あなた方のこの肉体のためにも救いの誓いを与えてくださいます。

 神は、あなた方が最後の復活のときに、肉体も超自然の永遠の美しさで光り輝くことを望んでいます。地上の生活での聖なる業と、神に動かされた霊魂が、その衝動に従ってなしたことによって。

 愛である神の訪れが、どんなに大きな恵みであるか、あなた方が知ることができさえすれば! もし分かるならば、必ず言うでしょう、『主イエズス、来てください。わたしの霊魂を導いてください! わたしの王、先生でいてください』と。もし分かるなら、どんな出会いにも注意するでしょう、あなた方の人間としての幸運な生活の中で。そして、本当のところ、わたしが愛を持ってあなた方の心の中に入るときほど、喜ばしいことはありません、あなた方を救い、来世の、本物の、永遠の、祝福された命へと導くために。

 霊的無力に襲われたあなた方は、不注意から、先生をやり過ごしてしまうこともあるでしょう。後悔の念、それは、最も堕落した状況であっても完全に沈黙することのない良心の叫びです。なまぬるさと物への執着で麻痺していた霊魂が、後悔の念で目覚めさせられたなら、すぐに行動を起こしなさい。すぐに神を捜しなさい。

 よく考えなさい、神がいなかったら、永遠に消えるまで死の道をさまよう以外にありません。また、こうも考えなさい、神は慈しみ深く、あなた方を慈しむ心をお持ちです。神を呼ぶあなた方の叫びを聞けば、罰のためにしばらく姿を隠したままでおられたとしても、すぐにあなた方の近くにおられます。あなた方は神を見られませんが、父の心であなた方の近くに来ておられます。それは、わがままな息子を赦し、胸に抱きしめたいと願う父の心です。

 すぐに神を捜しなさい。夜警たちを見回らせなさい。神の所へ逃げ込もうとする霊魂を引き留めるために敵が道に仕掛けた罠を見張らせなさい。嫉妬深く残酷なサタンが、復讐のためにあなた方の服を脱がせたとしても、させておきなさい。

 あなた方は、愛情や、名誉や、地上的な喜びに付き添われて神への入り口に近づき、もうすべて持っているから、ほかに受ける必要はないと追放されるよりは、人間性を奪われ、霊的な富だけを持って、永遠の生命に入る方がよいです。あなた方が唯一必要なものよりも選んだ『すべて』とは、落ちてあなた方を転落へと引きずり込むものです。あなた方に必要なものは、永遠の命に入るためのコインです。それは、労働、努力、霊的忍耐によって集められたコインです。わたしの愛のために、わたしの掟に従って終始集められた小さな者たち。愛のために苦しみながら手に入れた神秘の真珠たち。わたしの子になりたいというあなた方の願望によって生み出された永遠のルビー。肉欲の声に逆らい、世の嘲笑と復讐に逆らい、サタンの誘惑と怒りに対抗し、人であれ、悪魔であれ、自分自身と敵を征服することで求められたコイン。神の意志に従おうとする霊を勝利させるために、肉を砕くことによって求められたコイン。わたしが最強の誘惑、最高の恐怖、人類が経験しうる最強の神聖な意志に直面したときに流したように、生きた血の汗を流すほどまでして求められたコイン。

 あなた方が、あなた方を愛してくださる方に忠実でいるために、肉の力、愛情、富、名誉の力に対して『いらない』と言うとき、それが何と意味するかを知っていれば! 完全に神のものとなるために、たとえ大切なものを奪われても構わないと覚悟することが何を意味するのか、あなた方が知っていれば!

 ある種の剥奪は、歓喜とまではいかないまでも諦めとともに耐えられます──神の目的のために犠牲になった健康を喜ぶことはできても、父、母、夫、息子、兄弟が埋葬された墓を喜ぶことはできません(わたしも人間たちの中にいた人間でしたから、もう懐かしい声が聞こえないこと、身内がいなくなって生気が抜けた家を見ることがどういうことか、覚えています──諦めとともに耐えるある種の剥奪は、殉教と同じ価値があります。マリア、これを覚えておきなさい。それは価値があります。人々の心の中にわたしの王国をもたらすために命をささげる殉教に価値があるように、霊魂の熱や霊魂の病気を終わらせるために耐える熱や病気にも価値があります。

 どちらのタイプの殉教も、報いを受けるでしょう。大きな試練を経てわたしの所に来た者たちの紫のストラ、火の行列は、おとめたちの白い行列とともに、子羊の後に続くでしょう。後者はわたしの右に、前者はわたしの左に。なぜなら、これらの霊の英雄たちは、まさしく、愛の殉教によって引き裂かれたわたしの心の子どもたちだからです。おとめたちがマリアから生まれた者たちであるように。彼女たちは、母と母の子に最もよく似ています。天使の心を持って、人間を演じて生きた人たちです、肉と血を超越して。

 あらゆる力を尽くして、聖なる大胆さで、主を求めなさい。かつての怠惰を償うために、主を捜しなさい。いったん見つけたら、決して離れてはいけません。

 主の中にこそ、死なない善があります。主の中に、命とまことがあります。あなた方が主のうちにとどまるなら、滅びることはありません。主のうちに生きるなら、あなた方は死ぬことがなく、間違いを知らないでしょう。舵取りを知っている水先案内人に導かれて、船が安全に入港するように、あなた方もキリストに導かれて、平安の港に入るでしょう。うそをつかないわたしは、あなた方に言います。

 わたしを拒んではいけません、わたしの愛する子どもたち。わたしに忠実でいなさい。そうすれば、あなた方に栄光を与えましょう」。

注

  1. タイプ書き原稿への著者による書き込みは、「雅歌への解説の続き」。注203に関連して。

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  2. 六月二十六日と十月十日の口述で。

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