1943年10月15日
十月十五日
イエズスが言われます。
「教会は、わたしの聖母マリアに、雅歌の花婿が愛する人に向けた称賛を当てはめてきました。まことに、これらの称賛を受けるにふさわしい被造物は、世界でほかにいません。また、何よりも、肉体の美しさを称賛する官能性を脇に置いても、マリアは偉大です。なぜなら、原罪から除外されていたため、マリアは御父によって創造された最初の二人と動揺に完璧な人間となったからです。そして、創造主の崇高な作品である最初の二人は、汚れのない霊魂という無形の美に加えて、御父によって創造された肉体の美しさを持っていました。
人間に醜さが加わったのは、多くの罪の結果でした。罪は、精神だけを傷つけたのではありません。肉体をも傷つけました。恵みを失った精神からは、本性に逆らう本能が来ました。その結果は、人類の怪物となりました。もし、人間が罪を知らなかったら、ある種の刺激を知ることもなかったでしょうし、忌まわしく呪われた同盟関係を結ぶこともなかったでしょう。それは、元々の美しさに、醜さの痕跡を何世紀にもわたって残すことになりました。
そして、人間が特定の罪や、非行に至るまでの邪悪さで自らを貶める段階に達していなかったとしても、悪人とその子孫の顔に痕跡を刻みました。あなた方が今日でも非行を抑制するために研究している痕跡です。
けれども、それらを研究する学者のあなた方は、まず、あなた方の心から非行の痕跡を取り除くことから始めなければなりません。それは、あなた方を神、その掟、信仰に逆らわせるものです。肉と血の罪を抑制するのではなく、霊を世話することが必要です。人間が、まず自分自身の霊を世話した後、兄弟たちの霊的教育に気を配るなら、非行はなくなるでしょう。霊が自分の原動力であることを認識し、それを言葉で否定せず、生涯の行いで否定せずにそうするならば、一部の哀れな精神障害者に散発的に現れるだけにまで減少するでしょう。
モーセの時代、身体的醜さは、悪と自分あるいは縁者との関係の徴とされ、奇形の人は神聖な奉仕から除外されました。いつかあなたに説明したように201、その時代の複雑な理由で、厳格と絶対主義が必要とされたからですが、その後、わたしが、愛の教義で修正しました。この掟が正義によって与えられたのは、不幸な人たちへの愛に欠けてよいと人々に教えるためではありませんでした。そうではなく、人間の動物性に歯止めをかけるためでした。自然に反する罪が、神聖な奉仕から除外される奇形の人たちを生み出したかもしれないという疑念や恐怖を抱かせたからです。神聖な奉仕は、イスラエルの子らの最高の願望です。
その後、永遠の知恵であるわたしが、あなた方のために肉体を持って来ました。そして、わたしのカリタの火と、知の光で、その掟を修正しました。
モーセの時代から何世紀も過ぎましたが、あれほどの掟にもかかわらず、人間は悪と密通してきました。欲望によって恐ろしい逸脱へ向かわされ、狂暴性によって、最高の犯罪にまで至りました。これら何百万の罪びとの子孫には、先祖の遠い罪の痕跡が刻まれていましたが、一方で、身体的欠陥や恐ろしい病気によって美しくなくなった肉体の覆いの下には、肉体的に美しい多くの人よりも神にふさわしい心臓の鼓動がありました。
そして、わたし、愛の果実、人間たちに愛をもたらした者は、あなた方に愛を教えるために、不幸な人を愛することを教えました。わたしは、歩けない人、目の見えない人、らい病人、精神を病んだ人をわたし自身に呼び寄せ、適切な場合には彼らを癒しました。わたしは常に、彼らに特別に愛し、あなた方にもそのように愛するように教えました。
これもまた、崇高な正義の理に適ったものでした。霊魂の奇形を贖うために来たわたし、あなた方の変形した霊魂に天国に入る視覚を取り戻させるために犠牲になるほどに、あなた方を愛したわたしが、身体的な奇形の人をどうして愛せなかったでしょうか? 彼らの奇形は十字架であり、それ自体、それを運ぶことができる人の霊魂を贖っていたのではないでしょうか?
愛しました。救い主は、この世で不幸な彼らを愛しました。そして、愛します。全員に奇蹟を行って、失った手足を取り戻せるわけではありませんが──それは、人間に説明する必要のない理由によるもので──欠陥を与えられた人たちが殉教の試練に耐えられるなら、全員に天国を保証することができます、彼らが永遠なる方の善意を疑わず、神を責めず、自分の運命を忌み嫌うことをしないならば。
彼らが、苦しみのためにも、わたしを愛しますように。わたしは、彼らの愛に報いましょう。そして、地上で見捨てられた人たちは、天国で勝利者になるでしょう。
わたしの母、罪なき人、美そのもの、神に望まれた人、わたしの母となるべく定められた人は、完全に調和のとれた四肢を持っていましたが、そこには、彼女を完全な似姿として造った神の指痕が明らかでした。
マリアを表現しようと、数世紀にわたって芸術家たちは苦心してきました。けれども、その完全性が表現できたでしょうか? 完全性は、内から外へと現れます。もし、絵筆や鑿で完全な形を作り出すことができたとしても、そこに霊魂の光を入れることはできません。それは、霊的なものであり、聖なる肉体に加えられた言いようのない神的なタッチです。内部から発して、あなた方の兄弟姉妹へと輝くのを見たあなた方は、『なんと聖なる御顔でしょう!』と叫ばずにいられないでしょう。
どうしたら、マリアを描くことができますか? 主の聖なるすべて! 彼女が現れるたびに、あなた方は、彼女の姿を再現しようと苦心しますが、彼女の出現の恵みを受けた人たちは、こう叫びます、『これは、美しい作品です。でも、マリアではありません。美しさが違います。あの美しさは、再現することも、言い表すこともできません』と。
あなたは、マリアを再現できますか? 試練が差し迫っていたあなたを慰めるため、わたしとあなたの母のビジョンを202見せました。あなたが、有能な画家や彫刻家だったとしたら、できましたか? いいえ。あなたは言いました。書く教育を受けた女性として、どんなに言葉を巧みに操ったとしても、マリアを描写するには言葉足らずになってしまうと。あなたは、彼女は『光』だと言いました。わたしとあなた方の母を表現するために、世界で最も美しく、筆舌に尽くしがたいものになぞらえたのです。
マリアの汚れない肉体のベールから現れるのは、彼女の霊魂です。それを、あなた方は描写することができません。おお、彼女の子ら、わたしの兄弟姉妹たち。マリアを見ることができるよう、あなた方自身を聖なるものとしなさい。想像してみなさい、たとえ、楽園で彼女しか見られないとしても、あなた方は幸せです。なぜなら、楽園とは、神のビジョンを楽しめる所ですが、マリアを見ている人はだれでも、すでに神を見ているからです。彼女は染み一つない、神性の鏡です。
したがって、雅歌の賛美は、マリアにまさにふさわしいことが分かるでしょう。彼女は、その純粋な霊魂で、王である神の心を傷つけましたが、王は、彼女のあなた方への愛の願いを満たしてくださいます、あたかも、彼女が女王であるかのように。
わたしはあなた方が、力の限りマリアを愛するように願います、あなた方が、全身全霊で神を愛さなければならないのと同じように。愛するとは、まねることです、愛する人を愛の精神でまねることです。これについては、優しい命令を与えました。『あなた方がわたしの行いをするのを見た人は、あなた方がわたしを愛していることを悟るでしょう』と。わたしの母に関して、同じような命令を与えます。『あなた方が彼女をまねるのを見た人は、あなた方が彼女を愛していることを悟るでしょう』。
おお、世界が一生懸命にマリアをまねるならば! 悪は、どんな姿で現れようとも、霊魂の滅びから、家族の崩壊にいたるまで、家族の崩壊から国々の崩壊、地球全体の崩壊にいたるまで、永遠の敗北に陥るでしょう。なぜなら、マリアがその汚れなき踵で悪を踏み付けるからです。マリアがあなた方の女王であり、あなた方が真に彼女の子らであり、臣民であり、まねる人であるならば、悪はもはや、あなた方に害をなすことはできないでしょう。
マリアのものになりなさい。そうすれば、あなた方は神のものになります。なぜなら、彼女は、神がおられる園だからです。神が栄える聖なる庭です。彼女は、命の水を発する泉です。その水は、天に昇り、あなた方に天へ昇る手段を与えます。天、それはわたし、キリスト、世界の贖い主、人の救い主です」。203