1943年10月14日
十月十四日
イエズスが言われます。
「前に言いました199が、英知の書は、常に超人的な意味で読まれなければなりません。
世の行いの逆です。世俗の学問は、超自然的なレベルに上がることができず、超自然のことを世俗のレベルに落とそうとします。そして、閃きを受けたページから芸術的感覚をとらえ、詩や音楽、その他すべてを感じ、気付きます。つまり、どれもが人間的な感情を愛撫しますが、自分の霊魂が閉じ込められている扉をわざわざ開けようとはしません。人間たちは霊魂に対してあまりに無関心で、持っていることを否定したり忘れたりするほどです。
そして、霊は、暗いガレー船に押し込められた奴隷のように、反射光を受け取りません──『反射』と言うのは、光が人間のプライドと欲という厚い壁を通って差し込むことはないからです──すべての人のために輝く英知の太陽の反射でさえも。そして、超自然への無関心という暗い井戸の中に埋められているため、遠くへ隔てられ、光の反射のかすかな波すらも受け取ることができません。言葉でなく、荘厳な意味を持つ調和のかすかな振動すらも受け取らず、犯罪者の孤独に麻痺させられていきます。
肉体の三重の感覚に支配された存在の中に閉じ込められた哀れな霊たち! 彼らの牢獄に超自然的な言葉が、遠いこだまのように入り込むことがあったとしても、彼らは驚き、彼らを抑圧する肉体で聞こうとします。けれども、それは巨人に抑圧されている弱い人間には、むなしい努力です。
言葉をそのまま理解する、そして、霊をあるべき姿──肉体の奴隷ではなく主──にするために、人間は森全体の根本に斧を下ろし、邪悪な木を切り倒さなければなりません。何人かの無分別または反抗的な考えによって植えられ、自由奔放に成長した木々です。ところが、軽率な人々や主の掟に反抗する人々がその成長を助けます。人間は邪悪な木を切り倒して、光を入れなければなりません。天の高みから地上の草原に光を降り注がせなさい。あなた方は、過ぎ行く草のように、短期間で芽生え、花を咲かせ、そして散ります。天国に移植されるほどの咲き方ができる者たちは幸いです。
それは、霊の光が締め出されることも、消えることもない人たちです。彼らは、人間の流れに逆らうことのできる強者です。彼らは、人間的な主張に逆らうことをも信じられる信仰者です。彼らは、人間が作り出した影の向こうに太陽を感じることができるしっかり者です。何者も、彼らの安全を脅かすことはできません。彼らは方位磁針のように光を目指し、渡り鳥のように太陽を追います。彼らは、魂の太陽に近づくために、家や肉親から離れることができます。
マリア、わたしが言っているのは、修道院に入る人たちのことではありません。修道院の二重の格子の向こう側に身を置くよりも、家族の中で生きながら、『わたしへの愛のために捨てる』ことができる人たちです。あなたは思い当たるはずです。そして、家族の悪意に逆らいながら『わたしに従う』ことが、どれだけの涙を伴うか、知っているはずです。
『わたしの所へ来なさい』。利己主義、あざけり、身内の不信に逆らって、愛の王の『わたしの所へ来なさい』に従うことができる人たち、他人からの不当な批判や宗教的無関心に日常的に悩まされても、動揺したり冷淡になったりせずにいられる人たち。むしろ、これに耐え、自分の中の光を増やすように努力し、暗い家族の真ん中にそれを運び、神の利益を守るために自分を消耗させます、人間社会の第一である家族の中で。そして、死んだ──霊的に死んだ──身内に命をもたらすためなら、自分自身の命すら、わたしに差し出します。
おお! 祝福された子ら! わたしの聖なる、勇敢な子ら! わたしは知っています、主の命令に従うために、愛の優しい絆に逆らい、家族の偏見の厳しい鎖を断ち切ることが、どんなに大変か。わたしは知っています。覚えています。だから、家族の利己主義や家族の愛の隠れた殉教者たち、わたしの愛の聖なる殉教者たちに特別な報いを与えます。それは、死のように強烈で、火のように苦しい殉教ですから。
雅歌の中の──『わたしは夜、臥所の中でも、心から愛する方を捜しました。捜してもあの方は見当たりませんでした』という節は、次のように超自然的に読むべきです。
霊魂の夜は、しばしば、さまざまな理由で訪れます。生活の困窮、それをあなた方はしばしば『人生の懸案事項』にしますが、それは夕方のように暗い影を作り、時には星のない夜のように暗くします。神の意志があなた方の持久力を試すために、ほかの種類の暗闇を引き起こすこともあります。こうした暗い期間に、『あなた方の魂の愛』は、消え去ります。
霊魂は、完全に死んでいなければ、創造主である神を自発的に愛します。あなた方が気付かなくても、このあなた方の光、あなた方の炎は、肉体という暗い障壁の中に隠されながらも、自分が来た王国への郷愁を抱き、その起源との結合を切望しています。地上の霊魂は、見知らぬ人々の中で道に迷っていることに気付き、自分を安心させてくれる唯一者、つまり神に近づきたいと求めます。
人間的な心配事のために夜を作り出したあなた方の不注意のせいで神がいなくなると、霊魂は苦しみます。最初は、驚きのようなものが生じます。けれども、やがて、再び目覚めると、霊魂は『その愛』を求め、神から遠く離れている感覚に苦しみます。だらしなさのために、くだらない心配事で肉体に支配されたせいです。
一方、神がある霊魂を試すために、霊魂から離れて、夜に包まれるのを許すとき、注意深い霊魂は、愛に去られたことにすぐに気付き、その足元に駆け付けて、彼を探します。そして、彼に到達し、胸に抱きしめるまで、平安がありません。
光を理解したこの霊は、地上の心配事ではなく、あなた方が気を配るべき唯一のこと、『神を求めること』だけを心配します。愛にある霊魂の神聖な配慮は、神の神聖な配慮によって報われます。神は、被造物の救いのために自分自身をも与えるほど、彼らを愛しています。
あなた方がわたしの親しさを失ったのが、あなた方自身の過失によるものであろうと、わたしの意志によるものであろうと、雅歌の花嫁に倣う方法を知ってください。すぐに立ち上がり、疲れることなく、ためらうことなく、恐れることなく捜し求めるのです。
距離ができたのがあなた方のせいであるなら、赦されるために辛抱強く粘り強く捜さないのは恥です。それが神の意志によるものなら、人間的な焦りを見せて、非難の余地のない神をあなた方が非難するのは、不快なことになるでしょう。
何も恐れる必要はありません。人が神を捜すなら、神は隠れていても、その人を見守っています。したがって、世は神を求める者に対して『真に』悪いことは何もできません。たとえ、激怒から嘲笑や迫害を向けたとしても、それらは相対的にしか続かないものであり、あなたの勇気ある愛の果実が消えはしないことを、忘れてはいけません。
あなた方の愛の探求が、最終的にあなた方の魂の愛との再会に到達したら、あなたと神との完全で解けることのない融合になるまで、これまで以上に強い抱擁で抱きしめなさい。
見なさい、わたしの小さな花嫁、ここまで来たら、イエズスは決して離れません。あなたは、そばにいるわたしに、霊の目を向ければよいのです。婚姻の家の周りを巡り歩く花婿を見るように。花嫁は、あたりを見回すか、戸口から覗きさえすれば、直ぐ近くか、隣の部屋に彼を見つけられます。
どれも、素晴らしいではありませんか? あなたは大いに安心しませんか? 平安と慰めに満ちていませんか?
けれども、これはまだ何でもありません。わたしが、あなたの霊魂が閉じ込められている、肉体という、はかない小屋から連れ出して、永遠の住まいへ連れて行くとき、あなたは、愛の幸せがどれほどのものか気付くでしょう。わたしがあなたに注ぐ甘美な川に比べれば、現在の喜びなど、一滴の蜂蜜に過ぎません。
同じく十月十四日 後刻に。
イエズスが言われます。
「愛が『融け合う』ほど、強くなったとき、命や命そのものの長さを破壊する人間的暴力を恐れることも、無意味です。
聞く耳を持つ霊魂は信じなさい。愛ほど強烈で破壊的なものはありません。わたしの殉教者たちは、たとえ、暴君の剣や矢が貫かれての失血死や、火やピッチタールによる焼死や、水に沈められることや、野獣に引き裂かれることがなかったとしても、キリスト者とキリストの相互愛が導く白熱の愛の頂点に達すれば、途端に死んでいたでしょう。愛は、剣や矢よりも血管や心臓を切り開きます。愛は、火やピッチタールよりも燃やし尽くします。愛は水よりも沈めます。そして、愛は空腹な野獣よりも、愛そのものを求めて吸い込みます。
けれども、この愛の中への被造物の消滅は、宝石をその殻から分離し、肉体の中に閉ざされていた天使、あるいはむしろ精神への鍵を開きます。それは、屁理屈屋の人間からの反論を未然に防ぐためです。彼らは、縁飾りの分析に没頭し、至高の核心を見ようとしません。この消滅によって、不滅の魂は解放され、それを待ち受けていた天国で誕生します。天は魂の入城のために開かれ、聖人たちに敵対する世界との間に平和の障壁を置きます。
こういうわけで、わたしは言いました、『体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れることはない』と。体を殺すことは、魂を解放することなのですから。
愛は、剣や火のように、水や野獣のように、犠牲をささげるものです。あなた方の時代、初代教会に紫の冠を被せた大迫害はありませんが、本当のことを言えば、愛の炎が剣、火、野獣となった殉教者は少なくありません。
あなた方が、『小さき花』200と呼ぶ人は、聖アグネスに劣らない殉教者です。なぜなら、両者の命をそぎ取った刃は、根底的には愛という名だからです。そして、異なるやり方で完遂された両者の殉教は、天国で同じように報われます。それというのも、神の栄光こそ、彼女たちを殉教に向かわせた因子であり、霊魂への愛が、彼女たちにそれを求めさせたからです。
別離の長さを恐れることは、同じく無意味です。愛はそれを短縮します。それは燃やし尽くすからです。火の渦に捕えられている期間は、長く続きません。
火はすぐに火に近づけます。三位一体の神、愛の完成、愛そのものである火に。それは、あらゆる瞬間ごとに、熱意を新たにし、拡大させます、中心から三へ、三から一へと向かう熱意を。その愛の動きは、言葉では表せず、人間に理解できないもので、閉じられた泉から発する波のように宇宙に溢れて広がり、包み込み、肥沃にし、引き寄せ、命を与え、創造された命を受け入れることを求めます。それは、愛、つまり創造主そのものを知るようになるためです。それは、完全でなければなりません。創造主から離れている間の被造物ではなく、創造主の懐に再び集められた被造物の完全さで。
おお、至福の光! おお、三倍聖なる愛! なぜ、神であるわたしの犠牲が、わたしにすべての被造物を与えるのに十分ではなかったのでしょう? 一体なぜ、敵は、人間の弱さに働きかけ、わたしの犠牲がほとんどすべての被造物に浸透しないようにしのでしょう?
おお、神である人間、神の苦しみ! 地上の人間たちに愛を与え、地上の者たちを愛へ導くために、超絶的な輝きを去って、地上に降り立ち、天を去った神、自身をささげる人間としての犠牲が、何百万の者たちに無駄になったことを見なければならないとは!
あなた方は、こんなにも善から、善である愛から遠ざかり、そして死にます。わたしがあなた方に命を与えたのに、死にます。あなた方は、愛することができず、神によって愛されることを望まないから死ぬのです。
愛することを知ったあなた方、信仰にとどまりなさい。あなた方の主であり救い主であるイエズスを信じない人たちの中で。三位一体の神、父、贖い主、あなた方の愛を信じない人たちの中で。この安全な道から離れることがあってはなりません、この道の目的地はわたしの心です。
愛をあなた方の道の導き手にし、わたしへ飛び立つ競争の励みにしなさい。光に誘われる蝶のように、光へ向かって飛びなさい。光は、ここであなた方を受け止めようとしています。あなた方の信仰を見た喜びで、ますます輝きます。
来なさい。昇りなさい。被造物にとっての喜びは、神しかありません」。