手記 Quaderni

1943年10月13日

 十月十三日

 イエズスが言われます。

「わたしがあなたと一緒にいるのは、わたしの親切な行為です。愛の神の望みはこれです。被造物と一緒にいること。そして、被造物が裏切りの心から神を投げ出さないならば、神は去りません。特別な場合には、霊魂との特別な交信によって、その近さがもっと明確に知られます。

 けれども、霊魂が神の現存を感じられる恵みを喜んで、尊大になるならば不幸です。すぐに神を失うでしょう。なぜなら、尊大さがあるところに神はいないからです。被造物が謙遜であればあるほど、神はそこに降ります。マリアは自身の中に神を持っていました。霊的な意味でばかりでなく、生きた肉体としても。なぜなら、彼女は、聖なる謙遜の頂点に達したからです。

 けれども、たとえ神が被造物と共にいることを望んだとしても、被造物は神と共にいることを願うべきです。

 迷う霊魂が多すぎます! 人間的な利益を追い求め、人間的な楽しみの道へと広がり、うその理論に従って、道から外れます。多くの人間的な科学の幻想に騙されて。人生の夕暮れに入った彼らは、わたしからあまりにも遠く離れてしまったことに気付きます! 彼らは疲れ、吐き気を催し、腐りかけ、もはや主に近づく元気がありません。『イエズス、わたしを憐れんでください』と、昔のらい病人たちに叫ばせた信仰と天国への憧れの名残が、彼らの中に残っているならば、十分です。

 それは、救いをもたらす叫びです。なぜなら、わたしの名前を呼んで無駄になったことはないからです。わたしは、呼ばれるのを待って、見張っています。誰かわたしを呼ぶ人がいたら、すぐに駆け付けようと。そして、わたしの名が響けば、天は歓喜で震え、地獄は恐怖で震えますから、その名のために、奇跡を起こします。

 けれども、おお、冷淡で無分別な子らよ、最後の時になってやっとわたしの所へ来るのではいけません。わたしを呼ぶ時間やチャンスがあるだろうと、予知できますか? サタンが最後に奸計を講じて、あなたに死が近づいていることを隠すなら、予期せぬときに、盗人のようにあなたを連れて行くのではありませんか?

 突然の死は、世に溢れています。それは、あなた方の生き方の産物の一つです。あなた方は、快楽と知恵を増やして、死を増やしました。

 前者は、あなた方を死に導きます、罪を犯すあなた方ばかりでなく、あなた方の子や孫までも。ちょうど、あなた方が祖先の罪を償うように、あなた方の強欲と暴飲暴食の結果を通して。

 後者は、いわゆる『進歩』によって、あなた方を死に導きます。『進歩』の四分の三は、サタンの教えの産物です。なぜなら、あなた方の進歩の結果は、あなた方が創り出す精密な破壊の作品と手段であり、残りの四分の一は、快適さへの過剰な愛によってもたらされるからです。そこに隠されているのは、快楽主義と、神のようになりたいという、古くからの自尊心です。速さ、飛行、その他のことで、人間は能力を超えたいと願いますが、人間には使いこなせません。ソロモンは、知恵を増やす人が憂いも増やすことを知りましたが、あなた方が今、世界を知恵の混沌にし、神の掟とカリタという制御のない世界に変えてしまったことを彼が知ったなら、何と言ったでしょう?

 あなた方は、有害で難解な論争に頭を悩まされたり、殺人的な業を追い求めたりするのではなく、学ぶべきことがたくさんあったはずです。わたしの宇宙には、人間の目で読むことができる超自然的な教えや、美と善の法則が書かれている莫大なページがあります──わたしは、それを望んでいました。わたし、三位一体の神であるわたしは、あなた方を取り巻くこの宇宙を創造しましたが、あなた方に悪いものを何も与えていません。

 宇宙の万物は神と人間への愛の法に従っています。けれども、あなた方は秩序だった星の軌道や、四季の連続や、土の実りから、何も学びません。あなた方だけが従わず、あなた方は宇宙の無秩序です。そして、無秩序の代償を連続的な崩壊で払います。あなた方は、その崩壊の中で、渓谷から激流へと突き進む狂った群れのように滅びて行きます。

 罪で霊を鈍らせ、もはや、宇宙の事物の調和すら分からない哀れな人間たち。宇宙は創造主である神の栄光をほめたたえ、彼について語り、愛で彼に従っています。その愛を、わたしは人間に求めますが、無駄です。

 あまりにも人間的な知識を求めて、多くの人間に飢餓しかもたらさない無駄な彷徨をやめなさい。そして、わたしの所へ来なさい。

 わたしの十字架が世に高く掲げられているのは、意味があってのことです。この十字架を見なさい。ここで、神は、あなた方のために、自身を犠牲にしました。あなた方の中身が獣ではなく人間であるなら、あなた方へのわたしの愛に釣り合うように自分を律しなさい。

 わたしがあなた方にわたしの命を与えたのは、あなた方が自分を失い続けるためではありません。あなた方に命を与えるためでした。あなた方は、この永遠の命を求め、それに応じて行動しなければなりません。泥の中で生きる不潔な動物をまねてはいけません。

 あなた方は、魂を持っていることを忘れてはいけません。魂は永遠です。神が、あなた方の魂のために死んだことを思い出しなさい。あなた方は、ほんの短期間しか続かない病気を恐れますが、永遠の苦しみを与える地獄の恐怖を恐れません。

 哀れな子らよ、命の道へ戻りなさい。あなた方を愛する者が、懇願します。

 そして、聞いて書いているあなた、わたしの所へ来る安全な道を教えましょう、あなたがそれを兄弟姉妹に教えることができるように。

 すべてにおいて、師をまねなさい。これが救いの秘密です。師が祈るなら、祈りなさい。師が働くなら、働きなさい。師が自分を犠牲にするなら、自己犠牲に励みなさい。弟子は師に勝るものではなく、師と違うものにはなりません。子どもは、よい子であれば、親のようになります。

 子どもたちが、父親の行動、言葉、歩き方をまねるのを見たことがあるでしょう? 小さな足を父親の足跡に置き、そうすることで大人になった気になるようです。愛する父をまねることは、完全に近づくことだからです。

 小さなマリア、この子どもたちのようにしなさい。いつも、そうしなさい。あなたのイエズスの足跡をたどりなさい。それは、血にまみれた足跡です。なぜなら、あなたのイエズスは、人間への愛のために傷ついたからです。あなたも、人間への愛のために、千の傷から血を流しなさい。それらは天国で宝石に変わるでしょう。なぜなら、それらは、あなたのカリタの証人になるからです。そして、カリタこそ、天国の宝石です。

 わたしの所へ霊魂たちを導きなさい。彼らは扱いにくい子どもたちのようです。でも、優しく引けば、曲げられるでしょう。隣人から絶えず苦さを向けられる中で、優しくするのは難しいことです。けれども、すべてをわたしへの愛で濾過しなさい。わたしの所に来るすべての霊魂が考えなければならないのは、わたしの喜びがとても大きいこと、人間から絶えず与えられるさまざまな苦さを忘れさせてくれることです。また、正義は、とても怒っています。それを宥めるためには、贖う犠牲者たちが、これまで以上に必要です。

 あなたには、愛だけでわたしに従ってほしくありません。苦しみにおいても、わたしに従ってください。わたしは、世を救うために苦しみました。世がまだ救われるためには、苦しみが必要です。

 世はこの教えを知りたがりませんが、真実です。死につつある人類を救うために、あらゆる手段を用いなければなりません。この戦いに勝つための二つの武器は、隠れた犠牲と明らかな優しさです。あなたに、その報いを与えましょう。

 主のように、慈しみにおいて勇敢に、犠牲において勇敢でありなさい。試練において優しく、兄弟姉妹に対して優しくありなさい。そうすれば、あなたの王の顔と服をつけるでしょう。きれいな鏡のように、あなたに、わたしの顔が映るでしょう。

 人は、マリアをまねることができなければなりません。彼女は、人々の中で、キリスト──世の救い──を生みました」。

 同じ十月十三日、夕方に。

 イエズスが言われます。

「わたしが、あなたに話すのは、皆のためです。神と霊魂との愛の関係を説明するためです。

 わたしが、あなた方霊魂の『花婿』と呼ばれるのは、単なる言葉の綾ではありません。わたしは、苦痛の儀式によってあなた方と結婚し、寄贈財産として、わたしの血をあなた方に与えました。あなた方は、そのままではとても貧しく、王の住まいで恥をかいただろうからです。礼服を着ていない人は、わたしの父の国に入ることができません。わたしは、あなた方のために婚礼の衣装を織り、神聖な紫で染めて、父の目にもっと美しく映るものとしました。わたしの花冠を、あなた方に被せました。支配する人は、冠を被るものですから。わたしはあなた方に、わたしの笏を与えました。

 本当は、すべての霊魂たちにこれを与えたかったのです。けれども、数えきれない人たちが、わたしの贈り物を拒否しました。彼らは、地上の服、冠、笏を好みます。それらは、霊の法と違って、相対的にしか続かず、ほとんど無力なのですが。

 わたしは、名誉や富や栄光を呪いません。わたしが言いたいのは、それらが、目的そのものではなく、真の目的である永遠の命を達成するための手段にしか過ぎないということです。だから、人間としての使命がそれらをあなた方に託すなら、あなた方は、心と思いを神で満たしてそれらを活用し、不当な富を破滅の理由ではなく、勝利の理由にしなければなりません。

 不正な富で天国を得るために、心の貧しい人でありなさい──これは、あなた方がほとんど理解できないことです。

 心が貧しいとは、地上的なものに執着しないことです。目的地へ向かう質素な巡礼者のように、壮麗な衣装にとらわれず、自由に、天慮の助けを喜びながら行く人です。それらを傲慢に強欲に楽しむのではなく、空の小鳥たちのように、創造主が小さな体のために散らしてくださる穀物を喜んでついばみ、感謝の歌を歌い、守ってくれる羽毛の衣に満足して、それ以上望まず、食物が乏しい日や、巣や羽毛が雨で濡らされる日にも、恨んで不平を言うことなく、創造主が自分たちを見捨てるはずがないと、辛抱強く希望をつなぎます。

 心が貧しいとは、神があなた方を置かれた場所で生きることですが、心は地上の事物から切り離されて、天国へ到達することだけを目指します。

 どれだけの王が、どれだけの地上の富裕者が、『心の貧しい人』として、天国を獲得したことでしょう! 彼らは、束の間の栄光に駆り立てられる人間を力で制御しました。また、どれだけ多くの地上の貧しい人が、それをできなかったことでしょう! 彼らがそれをできなかったのは、富がなかったからではなく、それを羨み、大金の袋や、権力の衣や、常に豪華に整えられる食卓のために、自分をサタンに売り、心を殺したからです。墓の中で蛆虫の食物になるだけのために!

 不正な富を利用して、天国を得なさいとは、地上の栄光において、あらゆる慈善を行いなさいということです。

 徴税人だったマタイは、不正な富を天に突き抜ける梯子にすることができました。罪びとのマリア196は、彼女の肉体を魅力的にしてきた技巧を捨て、キリスト自身を初めとするキリストの貧しい人たちに用いることによって、その罪深い富を聖別することができました。数世紀にわたって、多数のキリスト者が、大多数に比べれば僅かながら、彼らの富や権力を聖性のための武器にすることができました。彼らは、わたしを理解できた人たちです。けれども、なんと少ないのでしょう!

 わたしがあなたに与える服は、わたしの血に染まっています。ゲッセマネからゴルゴタまでの霊的、精神的、肉体的苦しみによるものです。わたしの冠はイバラの冠、わたしの笏は十字架です。

 けれども、だれが、キリストの宝石を欲しがりますか? わたしを真に愛する人たちだけです。そして、わたしは、彼女たちを崇高な愛の儀式で妻にしました。地上の時が終わったとき、わたしを愛するこれらのすべての人のために、わたしは栄光のうちに来ます。一人ひとりを、栄光に導き入れるために。

 マリア、わたしは来ます、来ます。今は、互いに切望する時です。それというのも、どんなにあなたの近くにいようとも、知覚できるほどであろうとも、愛する人を取り巻く壁を通り抜けることができない愛人のように、常に壁の周りをさまよっています。あなたの霊魂は、どうにかしてわたしを見られないかと、裂け目を覗き、愛を叫びます。けれども、肉体が霊魂を閉じ込めています。わたしは奇跡の師ですから、肉体を押して入ろうとすればできますが、それらは常に一時的で相対的な接触です。

 あなたを連れて行くことはできません。まだ今日と明日わたしの役に立つ、あなたの肉体を殺すことになります。あなたの仕事はまだ終わっていません197。そして、あなたのために過ぎ去る地上の時間をいつ止めるかを知っているのは、わたしだけです。

 その時、わたしは来ます。おお、敵対的な地上から離れたいと願っている霊魂よ、天国は、あなたにどんなに美しく見えるでしょう! そして、愛の抱擁は、現在のものと比べて、どんなに激しく思えるでしょう!

 このような不幸な時代に、あなたは母親の最後の日々を妨げる可能性のある苦難についての不安がなくなったうえ、孤児としての苦しみにも平安の兆しが見えてきた、と言います。でも、あなたにとってすべての不安と危険がなくなり、もう主から引き離されることはない、と自分に言い聞かせられるのはいつになるか考えてみなさい。

 力の限り愛しなさい、わたしはあなたを愛し、はかり知れない愛であなたを愛しています。

 わたしのカリタは、微量の人間の塵がついたあなたの裸が見えないように、あなたを洗い、服を着せました。わたしのカリタは、あなたの不滅の利益のために、すべてを手配しました。

 世間的には、わたしの手があなたに重くのしかかっているように見えるかもしれません。しかし、愚かな世間に、超自然の真実は分かりません。

 あなたは常に、特別な愛でわたしから愛されています。粗野な低木から新種の花を生み出す園芸家のように、それまで花をつけたことがないそれを宝物のように切望する園芸家のように、あなたを見守ってきましたが、これからも見守り続けます。あなたは、わたしが嫉妬深いいじめっ子のようだと言いました。それは、わたしがわたしだけのために予約したお気に入りにすることです。

 もし、わたしが、あなたの周りに砂漠を作ったとしたら、それはあなたを、天国以外に魅力を感じる場所がないような立ち場に置きたかったからです。あの世には、あなたがその人間的な強さで求めたすべてがあります。この世には、もう、何もありません。鳥籠の隙間から、自由で幸せな仲間たちがいる空を見上げる鳥のように、扉が開いたらすぐに飛び立とうと、小さな扉のそばでじっと待つだけです。

 わたしは来ます。きっと来ます。あなたの現在の切望さえも、あなたの王冠を飾るのに役立ちます。忠実で、忍耐強くしていなさい。母がすぐ近くにいることを知っている子どものように、あなたのイエズスの愛に安心して休みなさい。イエズスは、あなたから目を離すことなく、置いて行くことも、忘れることもありません。霊を解放し王国へと導き入れる言葉を発することを、あなた以上に待ち焦がれています。厳寒と裸と涙の後で、あなたに太陽を与え、永遠の花をまとわせ、涙をすっかり乾かすために来ます。

 天国を満たす光のビジョン198を見たあなたは、王に手を取られてそこに入る時のことを考えなさい。光の国からかろうじて漏れた一筋の光が、あなたの中に至福の記憶を残したなら、その光があなたのものになった時は、どうなるでしょう? もはや現在の制限がなくなった、そのとき、わたしはあなたの中で、あなたはわたしの中で生きるでしょう。そして、あなたは雅歌の花嫁のように、あなたのイエズスはあなたのもの、あなたはイエズスのものと言うことができるでしょう。

 今は、愛情を込めてわたしを呼びなさい。わたしは近くにいますから、問題ありません。わたしは、呼ばれたいです。呼ばれれば呼ばれるほど、早く来ます。愛の声に逆らうことができないからです。

 人生の夕暮れが来る前に来ます。わたしは戻って来るのではありません。なぜなら、あなたがわたしのもとに戻って来たので、わたしがあなたのところに戻って来たわけではないからです。わたしは一度もあなたから離れていません。わたしは貧しい人のように、あなたがわたしに心をくれるのを、暗がりで待っていました。わたしに扉を開けて、あなたの王である花婿として、わたしを迎え入れてくれるのを。でも、今、わたしは来ます。結婚のために来ます。死すべき婚約の時は間もなく終わり、永遠の結婚の儀式が始まろうとしています。

 あなたには、まだ最後の仕上げが必要です。おお、わたしの葡萄、わたしの目にあなたが完全に美しく見えるように。鋏が痛くても、呻いてはいけません。剪定の時期は春の兆しです。そして、春に、わたしは来ます。それは、愛の時だからです。魂にとって死にあたる冬が終わり、神の園で喜びが始まるとき、魂は春に入ります」。

注

  1. マグダラのマリア。

    ↩

  2. 主の生涯についての記念碑的な仕事は、まだこれから与えられなければならなかった。

    ↩

  3. 七月一日の記述。

    ↩