手記 Quaderni

1943年10月12日

 十月十二日

 イエズスが言われます。

「あなたも、雅歌の花嫁のように、少し汚れてわたしの所に来ました。わたしの愛に引き付けられた霊魂が汚れずにわたしの所へ来ることはまれです。魂は二つの愛が一つになって生まれた肉体に生命を吹き込むとき、天国の家から降りて来ますが、そのときに持っていたユリのような白さは、この世の生活によって奪い去られます。

 それは、この世です。この世の雰囲気です。わたしの父が創造した天文学的雰囲気ではなく、あなた方人間が創り出した道徳的雰囲気です。最初に悪霊に毒されたため、始祖によって注入された悪の遺伝子があなた方の血に伝わっています。この世の雰囲気は、わたしの洗礼によって取り除かれるただ一つのしみ以外の輝く白さをぼかします。

 おお、洗礼によって洗われた霊魂の輝きよ! その輝きの白さをあなた方に見せられるものなら、あなた方の感情を魅了するものが見えるでしょう。洗礼の光に包まれた霊魂は、ユリをくすませ、真珠を灰色に見せるでしょう。サタンに誘惑される前の最初の二人はそうでした。父が彼らを似姿とするために、霊魂を吹き込んだばかりのときは。そして、実のところ、洗礼の恵みを浴びた霊魂は、神を写す鏡のようです。それは、創造主の愛が待っている天国へ帰ることを、愛しながら待っている小さな神です。

 もし、人間が熟考していたら──善であるわたしは、理性を用いる前に犯した罪を数えないのは、こういう理由です──人間が、善と悪の区別ができる状態であるなら──理性を用いた後に、感覚的本能が目覚めるのに気付いたなら(それ以前、働いているのは生存本能だけで、子どもは乳や食物や、母親や太陽の温かさ、母の手や支える物を求めるように促されます)──もし、人間が自分の行動を熟考し、自分がそれをしたら何を失うか、自分の霊魂が洗礼時の白さを失ったら、どんな逸脱、どんな罪に導かれるのか、自身の中の神の真の似姿(恵みと、美と、善と、純潔と、無限の慈しみの霊)を汚すことで、どんな冒涜を犯すかを熟考したらなら。自分の霊魂を殺すことで、神殺しになることを熟考するなら、おお、理性を賜った人間よ、罪を犯しはしないでしょう。でも、人間は愚かな王です。自分の王国の宝を、病んだ意志で浪費し、自分の王国そのものの所有権を危険にさらします。

 そして、マリア、よく見なさい。わたしは、自分の名で話しているのではありません。あなた方が罪を犯すことによって、あなた方のために死んだわたしを怒らせたと言っているのではありません。わたしはただ、父の利益と心情を守るために話しています。彼は、あなた方をご自身のように創造されました。彼は、あなた方を完全な父の愛で愛していますが、人間は愛さずに侮辱し、あなた方が命に入る日に胸に抱きしめたいという神の願いを踏みにじります。

 ほとんどの霊魂は、少し汚れて神の所へ来ます。肉体よりも優れた権利を持つ霊魂への尊重に求められる、神聖で注意深い反省をもとに人生を生きることができなかった結果です。

 あなた方は、肉体の権利に、大いに気を使います。肉体は死ぬものであり、霊の主人ではなく霊の召使として生きたことによってのみ、やがては天国の宮殿の住人になれるものです。あなた方の関心は、外見、健康、地上での生存期間をできるだけ延ばすことです。けれども、霊魂に関心を持ちません。霊魂を美しく保つこと、神によって創造された美しさに、意志によって獲得した宝石を付け加えて、さらに美しく飾ることに関心を持ちません。父のこと思う子どもならば、真の宝石、消えることのない真の富という徳で豊かになって、父の元へ戻りたいと願うはずですが。あなた方は、身体の健康を気遣いますが、霊魂を霊的な病から守るよう気を付けていません。あなた方は、いわゆる『命』を延ばすことに熱心ですが、それは、正しくは『待機』と呼ばれるべきものです。待機期間中に、決して消えることのない真の命を、自力で獲得することに関心を持っていません。

 あなた方が気遣うのは、この暗い期間のことだけです。あなた方のこの世での滞在中、それは輝かしく見えるでしょうが、すでに説明したように192、光と命を与えられるための妊娠期間のようなものです。あなた方は、墓を怖そうに見ます。あなた方が愛し、崇拝する肉体が戻る暗い穴。肉体は、土から出たものであるという真実へ戻ります。その土から解放される炎、光があります。それは、霊魂です。

 これが、体に価値を与えるものです、おお、愚かな人間たち。神の賜物である霊魂、神の顕現である霊、肉体をつまらないものと思わせるほど価値あるもの。

 けれども、自分をキリスト者と呼ぶあなた方、キリスト、言葉、真理の言葉を、なぜ忘れることができるのですか? わたしは言いました、『自分の命を救おうと望む者は、それを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを得る』と。『たとえ全世界を手に入れても、自分自身を滅ぼしたり、失ったりするなら、何の益があるだろうか?』、『もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、死ねば、豊かな実を結ぶ』。これらの言葉は、あなた方の霊の目を開かせたのではないですか?

 でも、あなた方が霊魂を肉体の石の山に埋もれさせているなら、どうして、霊魂の目を開かせることができるでしょう? 石打ちで殺された殉教者のようです。石打ちで殺された殉教者は、肉体が死んでも霊魂は永遠に入るのに対し、霊魂を石で撃つあなた方は、この世でも、真の命においても、光を奪います。

 そして、あなた方は、肉体のために墓の闇を怖がるのに、泥の塊のように無感覚です! そうです。あなた方は、あなた方の中の光、無限の光に憧れるものを、永遠の闇に落とすことを恐れません、あなた方の霊魂を。そして、あなた方、富に飢えた探求者は、真の富を失っていることに思い至りません。そして、命を熱心に求めながら、自分に死をもたらしていることに思い至りません。不滅の死、霊魂の死を。

 あなた方は、天の民としての不滅性において、自分を消しています。いえ、もっと悪いことをしています。自分の光をサタンに手渡し、闇の国の暗い光にさせます。おお、冒涜者たち! あなた方が、悪を目指した邪悪な発見を用いて、わたしの空から星たちを消し、腐った沼の中で生きたダイヤモンドとして光る彼らの光を消すならば、もっと悪いです。

 永遠の穀物の穂を育めるように、肉体を死なせなさい、霊魂を死なせるのではありません。あなた方の地上での子孫は、常に短命です。不死と思われた種族も、数世紀の間に滅ぼされ、記憶にしか残っていません。それさえもない場合もあります。けれども、あなた方が霊の中でなすことは死にません。地上の言葉で言っても、死にません。わたしの聖人たちを見なさい。数世紀を経ても、彼らへの称賛は、最初の日と同じです。

 また、列聖される栄光のために働いてはいけません。それは、人間的なことです。真の聖人は、そんなことを考えません。ただ、神の歓喜を増やすことだけを考えます。永遠の草原に素晴らしい花を増やすことを。また、神を完全に所有したいという渇きのために、叫びを上げ、転げ回る霊魂を満足させることを。

 わたしたちは、互いを求めて渇き、愛する二人です。霊魂と神、神と霊魂、これは、永遠の恋人たちです。なぜ、神と霊魂から、目的を奪うのですか? この世を超えて、永遠の住まいにおいて、一つに結ばれるという目的を?

 わたしは、完全な慈しみです。もし、あなた方が、わたしの所へ来るなら、あなた方の性質の中にある地上の太陽の輝きによる『小さな暗点』に目を向けません。ただ、あなた方に戦ってほしいだけです。あなた方が、酷暑の太陽のような肉欲のせいで、わたしの視線を見分けられず、わたしの視線を振り払うことがないように。

 人間性の過度な燃焼を盾で遮断しなさい。根気強い注意、改善への意欲、わたしを喜ばせる願いによって、これを守りなさい。それで十分です。あなた方は、こうするなら、すでにすべてを行っています。なぜなら、注意と意欲と願いは、テントを守る三本のペグのように、神を不快にさせ得るものから心を守るからです。

 もし、神に嫉妬するサタンが突然嵐を放って、その盾を引きはがし、雨雲や雷であなた方を汚したとしても、わたしはそれを見て、知っていますから、あなた方を責めたりはしません。ただ、正当性を認め、助けに駆け付けるだけです。

 そして、わたしが、あなた方の守りになりましょう、哀れな子らよ。あなた方を胸に抱きしめて、言うでしょう、『泣いてはいけません。あなたに同情します。あなたをきれいにし、助けます。来なさい。愛の神は、あなた方に泥を落とす血と、安全な避難所として心を与えます。来なさい、サタンにわなをしかけられる人間たち。サタンは、わたしの近くには来ません。神に向かって、顔を上げなさい。がっかりしてはいけません。わたしは、悪魔に試みられることを望みました。それは、サタンの誘惑が何であるかを人間として経験し、あなた方に同情できるようにするためでした。神の思いとしてではなく、試みを受けた人間の経験から、あなた方に同情できるために。がっかりしてはいけません。あなた方が、罪を犯すまいとするだけで、わたしには十分です。罪を犯した後で、失望しないだけで十分です。前者は、神としてのわたしに背きます。後者は、救い主としてのわたしに背きます。あなた方の救い主を疑ってはなりません。決して。救い主の力を信じる人には、すべての赦しが待っています。真理であるわたしが、そう言います。

 小さなマリア、雅歌の簡潔な一文193に、どんなにたくさんのことが言われているか、分かりますか? あなたの苦しみが和らいだと感じますか? そう、あなたは、母を失ったのではありません194。わたしがここにいます。あなたをあやし、最も崇高な子守歌を歌います、泣いているあなたの心を慰めるために。わたしは、ここであなたの手を取り、永遠の庭を散策しています。わたしは約束しましたし195、それを守ります。わたしは、あなたの母であり、父であり、兄弟であり、夫でもあります。あなたの母親のことは、わたし、救い主が考えます。あなたのことは、わたし、愛が考えます。

 平和のうちに行きなさい。わたしは、いつも、あなたと一緒です」。

注

  1. 十月十日の口述で。

    ↩

  2. ページの下部に、著者による鉛筆書きで雅歌1-5。

    ↩

  3. 著者の母は十月四日に死去。

    ↩

  4. 八月十二日の口述。

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