1943年10月10日
十月十日
イエズスが言われます。
「最も有害で、おそらく人間に最もよくある軽率さとは、よく考えずに約束することです。最初によく考えずに、人間はなんと多くの誓いをすることでしょう、そして、無責任に破られることでしょう! その結果として、なんとたくさんの害悪が世にもたらされるでしょう! 神聖な誓いが守られずに拒否されるのは、その召命がその人間の心に最初に提示された後、心の感傷を神からの呼びかけと誤解したからだとされます。結婚の結び付きは、生活の現実に直面したとき、二人のうちの弱い方、思慮の足りない方が誓いを破るようになり、冒涜的な分裂と化しました。あなた方の約束を信じていた友人たちを失望させました。そして、もっとも深刻なのは、無思慮な指導者たちによる軽率な振る舞いによって生じた世界的な混乱です。指導者たちは、国民の裁定者として、自らの名において同盟を約束しますが、それは、自国民と他国民にとって血の重荷となります。その同盟は、臣民に同盟のために戦うことを強制するか、自己欺瞞的な大胆さで既定の同盟を破棄するからです。同盟を維持することは不可能です。彼らは敵になります。
神からの直接の贈り物である優れた知性を与えられた人間が、どうして、そのように、獣のように無反省に行動できるのでしょうか? それは、恩寵を奪う罪によって、霊的な力が傷つくか、完全に失われているからです。
マリア、いいですか。ヘロデのエピソードを一緒に見ましょう。彼は、わたしのいとこで先駆者であった者の首を刎ねさせた男です。それを、人間の見方とはまったく異なるわたしの見方で考察しましょう。わたしの教会の説教壇からは、このエピソードについて多く語られています。けれども、解説者たちは、軽率なヘロデと同じように、『正当ではない』所にとどまり、このエピソードから霊魂たちに役立つそのほかの教えを引き出していません。
マルコ(六章二十一~二十七)は、ヘロデが軽率さのために笑い者にされていたと言います。官能の満足に動かされて、若い少女に望みのものを何でも与えると誓います。福音書記者は、心の中でわたしのいとこを尊敬していたヘロデが、要求を知って悲しんだと言います。ヘロデは、いとこの英雄的な気高さ、超自然的な知力を認めていましたから、彼に啓発され始めていました。けれども、約束は守らなければなりません、特に、王の約束であり、宮廷中の人が見ている中での約束ですから。そこで、人間の中で最も聖なる者──なぜなら、それは誕生前に、神を生む女性、聖霊に満たされた、わたしの最も聖なる母の抱擁によって聖化されていましたから──の首は、一人の王の愚かな誓いのために切り落とされました。
ヘロデは、どうして、こんなことができたのでしょう? それは、彼の中にはもう恵みがなかったからです。罪のせいで、彼はサタンに捕えられました。サタンが人間を捕えると、その人は光を見ることも、神の霊の声を聞くこともできません。神の霊は、人間に行動を起こさせ、正義と聖性の行動のみを勧めるのですが。
あなたは、恵みのうちに生きる必要性が分かりますか?──『必要性』です。
おお、消えてしまう富を求め守ることに忙しい人間たちよ、あなた方自身のうちに、超自然的な恵みの富を守ろうとしないのは、どういうことですか? あなた方を神と結び付ける恵みは、母の子宮の中で、臍帯でつながっている胎児のように、光であなた方を養ってくれます。
そして、あなた方は、まさに天の命へと生まれるのを待っている子どもたちです。あなた方が死ぬまでの日々を過ごすこの世での命は、命ではありません。あなた方が永遠に生きる者となるための形成過程に過ぎません。人生とは、あなた方を光に向けさせるための期間です。貧相なこの世の光ではなく、真の光へ向かわせるものです。
母親が子を形成するように、わたしは、あなた方をわたしのうちで育てます。わたしは、あなた方を包み、わたし自身で、あなた方を守ります。あなた方がいわゆる『死』のときに、不死の者として生まれることができるように、わたしの食物であなた方を養います。『死』とは、『通過』に過ぎません。不完全な段階から完全な段階へ。限られた空間に閉じ込められていたものから、無限の自由へ。闇から光へ。隔てられた愛撫から、霊魂と親との完全な抱擁へ。
これが、あなた方が『死』と呼ぶものです。あなた方は、知識を誇りますが、まだ、物事を正しく呼ぶことができない幼い子どものように、間違った名前で呼びます。わたしは、あなた方に、『死』とは何か、『死者』とは何かを教えたいと思います。
死とは、神から離されることです。月足らずで母体の臓器から離れ、胎嚢の中で腐り、痛みとともに排出される胎児のようです。死者は、このように排出され、動物の死骸のように、でこぼこ道の端で太陽と雨に曝されて崩壊し、見る人に嫌悪を催させます。これが『死』です。これが『死ぬ』ということです。罪は、あなた方を神から離れさせ、あなた方を腐敗させ、堕落した肉体、サタンの餌食にします。
この世には、常にたくさんのヘロデたちがいます。彼らが罪によって神から離れさせられるとき、光と慈しみの聖霊は一体どうしたら、ヘロデとたくさんのヘロデたちを導くことができるでしょうか? 本当のことを言います。この世で犯されるあらゆる過ちの基礎は罪です。それは人を恵みから切り離します。
過ちを犯したくなかったら、恵みのうちで生きなさい。そうすれば、母の膜に守られた胎児のように、あなた方はこの世の出来事の中を進むことができ、世俗と世俗の主のわなに捕えられることもありません。世俗の主は、聖なる真の主である神を拒みました。母の子宮の中で形成され成長する胎児のように、あなた方が完全に成長して、天の命に生まれることができるように。そして、三重に聖なる血であるわたしは、あなた方の中を循環し、わたし自身であなた方を養います。ついには、わたしとあなた方の父は、あなた方を胸に抱き寄せ、あなた方をもはやアダムの子としてと区別することなく、『子どもたち』と呼びます。彼の言葉であるわたしと同じように、子どもたちと。。なぜなら、言葉の血が、あなた方の中にあるのですから、聖なる父は、あなた方を抱擁することで、あなた方に命を与えるために人となった、息子を抱擁することになります。そして、あなた方が命に入ると、永遠の聖霊は光をひらめかせて、あなた方を歓迎します。それは、あなた方の中に、自身の一部を認識するからです。それは、起源である神的な源泉への帰還です187。
おお、あなた方が天国に生まれる幸せな日よ! 三位一体の神は、あなた方が来るその日を待っています! おお、わたしが人々のために準備した幸運!
立ち上がりなさい、おお、わたしの愛する者たち! この世での命は、あなた方が真の命に成長するために、あなた方に与える時間です。それがどんなに長く、苦しいものであったとしても、わたしの永遠に比べれば、ほんの一瞬です。わたしがあなた方に約束する永遠、あなた方のために保管している永遠。わたしの受難によって勝ち取った喜び。
わたしのうちに生き、わたしによって生きなさい、わたしの愛する子らよ。あなた方を待っている喜びは、神の栄光のように測り知れないものです」。
また、同じ日に
イエズスが言われます。
「主を畏れることが知恵であり、悪を離れることが悟りであるなら、力のかぎり主を愛することは、何でしょうか? 知恵と悟りの完成です、なぜなら、愛は霊の力をそれほど磨き上げるので、結果として、あらゆる分野の完成に導くからです。
愛する人は、真の知恵を知っています。それ以上ないほど完全に188。愛は、彼らが理解するように教え、従うように導きます。愛は、彼らを悪から守り、善の道に沿って飛翔させます。神は愛です。神が本性として求める神聖な愛は、知の中の知です。それは、あなた方を知の達人にするからです。その知は命を与えます。神を知る知です。
愛する人は、真の知識を持ちます。神は、神を愛する人から離れることはありません。だから、神があなた方のうちにいるなら、あなた方は自身の中に知そのものを持ちます。そして、あなた方はその光を伝えられます。ガラスの中で燃える火が、輝きと熱を外へ伝えるように。
あなた方が神を愛するとき、神は炎です。接触によって、あなた方の人間的な本性は神聖化されます。理性を与えられた動物である人間は、蛹の鞘のように落ち、真の超人へと引き継がれます。それは、世が考えるような超人では」ありません。間違いだらけで傲慢な、哀れな思い上がり者ではありません。天使ではなく、もはや人間でない存在、けれども、人間とたくさんのものを共有します。それは彼に功徳を与えます。また、肉欲にとらわれない自由な精神、聡明さ、千里眼を持ちます。それによって、真理が明かされ、神が現れます──父である主である神が──圧倒的な美しさの中で。
神を愛する人は幸いです。七倍祝福されます、なぜなら、彼らの愛は、あらゆる神秘的飢餓、渇き、あらゆる徳、あらゆる事物のまとめであり、山上の説教で名指しされた人々に約束されたものを受け取るからです。彼らは幸いです、なぜなら、彼らはこの世にいる時から、神を見て喜ぶからです。それは、天国で彼らを待つ永遠のビジョンの恍惚の味見です」。