手記 Quaderni

1943年10月7日

 十月七日

 イエズスが言われます。

「おお、別れ182がつらくて、完全な別れに思えて泣いているあなた、イエズスが話すことをよく考えなさい。そうすれば、この別れが完全なものではないことが分かり、痛みも減るでしょう。

 わたしの使徒183は、霊感による言葉を述べていますが、その意味は、地上の生命にだけ関連するものと解釈されるのが一般的です。けれども、もっと広く深い意味があることを、皆に示しましょう。泣く子らよ、愛する人の死を悲しむあなた方皆のために。

 なくなった人は、人間のためにパンとなったわたしの血と肉を食べて死にましたか? それならば、あなた方の救い主の血と肉の力は、死後も彼らの中にとどまるのではないですか?

 超人間的な霊魂に対して、人間的な死は何ができるでしょう? 地上の死という小さな死は、永遠に生きるわたしから、メンバーの一部を取り去る力を持っていますか? そして、あなた方は、地上で生きるわたしの神秘的な体を構成するものとして、わたしの中で生きているのではないですか?

 これらは、論争の余地のない真実ではありませんか? そうです。

 おお、愛する人を失ったばかりで泣くあなた方皆、知りなさい、あなた方がその死を悲しんでいる人は、死んだのではなく、わたしの中で生きています。あなた方が地上で一緒にいたときにあなた方の魂に栄養を与えたのと同じパンが、ここで生きているあなた方の霊と、わたしの中に超人間化されて生きている霊に、命と交わりを保持します。

 小さな死は、不滅の霊魂に何の害も及ぼしません。恐れるべきは、大きな死です。それは、あなた方の身内、伴侶、友人を、あなた方から永遠に取り去ります。大きな死、つまり霊魂の破滅こそ、わたしの神秘体の細胞をわたしから引き離すものです。それは、サタンの餌食となった壊疽だからです。

 けれども、わたしの名において死んだ人たち、彼らは、聖体の食物で霊的な命を養われたのですから、その命は消えることなく、常に永遠の死から守られますから、彼らのために泣くことはありません。むしろ、喜ぶべきです。なぜなら、彼らは死の危険から抜け出して、命へと入ったのですから。

 わたしから栄養を得た人が、ユダの兄弟になることは考えられないと思うあなた方、よく考えなさい。ユダには、わたしのパンが命ではなく、死となりました。

 わたしのパン──それは、人々に天国を獲得させる力を与えるために食物となったわたし自身であり、天国に入るための通貨です。わたしのパンは、それぞれの霊的同化の能力に応じて、多かれ少なかれ、栄光の国への迅速な入国を与えるでしょう。そして、九十九パーセントのケースで、常に霊魂の救いを与えます。

 だから、泣いてはいけません。もう子どもがいない親たち、連れ合いをなくした人たち、親をなくした子どもたち。泣いてはいけません。聖書で、ある母親に言ったように、決してうそをつかないわたしが言います、『泣くことはない』と。

 わたしを信じなさい。わたしはあなた方に愛する人を取り戻させます。地上の悲しい死が届かない国、恐ろしい霊の死があり得ない国で、あなた方に取り戻させます。

 泣くことはありません。あなた方皆に、この希望があるように。それは、信仰であり、わたしの祝福です」。

注

  1. 母の死。それについは、十月二と三日、四日、五日、九日に言及されている。

    ↩

  2. 著者は鉛筆で脚注を入れている。「聖パウロによるコリントの人々への第一の手紙十・十六~十七」。

    ↩