手記 Quaderni

1943年10月4日

 十月四日  孤児となって初めての夜180

 イエズスが言われます。

「苦痛も二人で担うならば軽くなります。わたしはあなたと一緒にいます。

 この苦しい夜に、あなたを平安にさせない世間には、これが残酷な行為と思えるかもしれません。けれども、世間には言わせておきなさい。否定的な見方で判断し、話すのが世間です。真実は違います。そして、この真実こそ、あなたに話している者が何者であるかの絶対的な証拠です。あなたのページの中に、わたしやわたしの声を聞こうとしない、今日の大勢のトマスたちに対しての証拠です。

 正しく聖なる神だけが、このような苦しみの時に、あなたが書くような言葉を書かせることができます。神だけが。そして、わたしは神です。

 異教徒の世を最も驚かせ、新たに多数の改宗者を教会へ向かわせたのは、一つには、殉教者が殉教するときの静穏と不屈の精神でした。この揺らぎない静かな平安は、神からのみ来るものです。けれども、心の殉教も、残虐さにおいて体の殉教に劣りません。神だけが、心を痛め付けられたこの者たちに、受容の勇気を送ることができます。それはまさに、『主の祈り』の第四節を、全身全霊を尽くして、精神と霊において、生き抜くことです。

 見る目のない世間は、あなたの英雄的な静かさ、あなたのすべての賜物を、無関心と誤解するかもしれません。世は、近づくすべてを汚します。けれども、塵は金塊やダイヤモンドに浸透することはありません。それは表面にとどまり、わずかな雨や風に打たれて落ちます。

 だから、見えない世間には見せずにおきなさい。そのほかの、わたしの霊を光としている人たちは、あなたの殉教の勇気の中にわたしの名を読むでしょう。そして、あなたは、この勇気ある忍耐で、あなたのイエズスの伝達者となります。言葉だけで行いを伴わない百人の説教者にまさります。

 ここで、あなたに譬えを示します。実らないいちじくの木の譬えです。泣いてはいけません、マリア。わたしがだれのことを指しているのか、分かるでしょう。泣いてはいけません。

 あなたの母を、わたしは実りの遅いいちじくの木を世話する番人のように世話しました。マリア、そのことで、わたしをたたえてください。あなたの大切な人の霊魂のために、わたしは無限の慈しみを示しました。

 彼女の裁きの時は、今よりずっと前でした。そして、わたしは、あなたが苦しんでいたこの数年間に二度来ました。この霊的な木を観察するために。それは、あなたの祈りがあっても、永遠の命の実をつけませんでした。そして、二回とも、わたしの手にはすでに、その命を断つ鎌がありました。それは、恵みの招きに抵抗しました。そして、二回とも、わたしは、その霊魂が善い行いをせずにわたしの所へ来ることを避けるために、打ち倒すことを控えました。霊魂がわたしと和解するという善い行いをするように。

 わたしは、慈しみ深いイエズスです。そして、わたしは、彼女とあなたに慈しみを示しました。あなたは、彼女のことで心を痛めていました。

 わたしは、最後の仕事の準備をしました。僕181を遣わし、その霊魂に秘跡による神秘的な肥料を施したのです。いえ、いくつかの秘跡です。そこには、わたしの血が流れていて、わたしの肉は、あなたたちに救い、赦し、永遠の命を与える食物となりました。わたしの前に現れようとしている霊魂を果実で飾る奇跡を行うために、その要素にできることをすべて行いました。そして、あなたはわたしを手伝いました。

 わたしは今、彼女を受け取りましたが、彼女にもう、これ以上、結実を望めないからです。これ以上置いたら、恨みと利己主義の熱を持った人間的な感情が噴出して、折角わたしとあなたがつけさせた実を燃やしてしまったでしょう。

 彼女はあなたに『ありがとう』と言いませんでした。けれども、わたしが代わりに言います。そして、今、彼女はあなたにそう言っています。それは、彼女の人間性に隠されていた領域が、わたしの光で照らされたからです。

 娘よ、泣いてはいけません。後で休息が来ます。そして、彼女のために、祈りと犠牲を続けなさい。そして、わたしに希望を持っていなさい。

 平安のうちに行きなさい、忠実な霊魂よ。わたしは、あなたを捨てません。あなたは、わたしの腕の中にいます。それは、どんな母親よりも優しい腕です」。

注

  1. 注177を参照。

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  2. イシデは、十月四日正午に亡くなったが、その数日前、ミリオリーニ神父から聖体を拝領していた。

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