1943年10月1日
十月一日 午後七時
まず、申し上げなければなりません。昨日から、わたしの中にある神の秘密が冒涜されたことで、非常にショックを受け、心臓発作を起こして、肉体的にも苦しんでいました。それは午前十時から午後五時まで続きましたが、精神的にはもっと苦しみました。
たくさんの霊魂たちの卑しい好奇心は、事情を酌量すべきと理解できますし、気の毒に思います。しばしば、人は自分への称賛をうれしがり、相手もそうだろうと推測し、あれこれと称賛を送ります。けれども、称賛された側が、すでに完全に神のものになっている場合、普通の人間とはまったく違う反応を示します。彼らは楽しむどころか、苦しみます。特定の称賛を聞いたり、自分の秘密への侵入を見たりすれば、苦しみに苦しみます。
そして、わたしも苦しみました(今も苦しんでいます)。あまりに苦しくて、他人の好奇心を満足させるだけなら、もう何も書きたくないと狂おしく思ったほどでした。あの優しい声に逆らって(もちろんそれも苦しいことですが)でも。わたしに沈黙を守らせてくださらなかったとしても。でも・・・マリアは、イエズスに、こんな願いを聞いていただいたことはありません。決めるのはイエズスです。お望みのとおりになりますように。アーメン!
わたしは、聖書を適当に開きました。「神のよい筆記者」という使命を返上できるものならと思いながら。すると、イザヤ書の五十八章が出て、イエズスが話し始められました。わたしの「でも」や、「もし」のすべてに答えて。
イエズスが言われます。
「わたしは望みます。絶対に望みます、あなたが、神である主の言葉を叫ぶ人になることを。わたしに回心することを望まない、わたしの民の罪を嫌う言葉を。そして、愛の言葉を。それは、あなた方の行動に悩まされ、怒った正義の嵐を鎮めてあなた方をわたしに引き寄せるために、荒波に油を注ぐように、わたしの心から流れ出す言葉です。おお、不幸な子らよ、体と心が、これほどひどく、悪魔のように死んでいる子らよ。
わたしは、あなたに何度も語ってきました。光や、音で、分からせようとしました。あなたはもはや、あなたのものではありません。あなたは、わたしの細胞です。あなたの先生であり、救い主であり、全世界の救い主であるわたしに、すべてにおいて従わなければなりません。だから、進みなさい。あなたの意志に、わたしの意志を拒ませてはいけません。わたしは、あなたを守ります。これからも、わたしの小さなヨハネであり続けなさい。わたしが思いを打ち明け、わたしの意志を託すことができる、とても安心できる存在です。
見なさい、マリア。このわたしの民を。わたしの真の民より、よそよそしく、反抗的になっています──それというのも、わたしのものであるというのは名ばかりで、明らかにキリストの旗とは違う旗のもとで、神の掟ではない法に従って戦っているからです──この人たちは、わたしを探しています。けれども、どのようにして?
以前、盲人にたとえました。今日は、酔っぱらいにたとえましょう。まさに、朦朧とするほど悪徳に酔っている人です。酔っぱらいは、自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのか分かりません。酒の霧の中で手探りし、獣よりも劣る者になります。
彼はわたしを探します! おお、狂った支配者たち。霊魂の高潔さを官能や罪の熱で弱らせ、神を裏切ったあなた方、どうして、わたしを見つけることができるでしょう? おお、わたしのものだった民よ、あなた方自身の汚れた服を脱ぎ捨てて、霊の姿であなた方の主のもとへ帰るのでなかったら? 本当に、帰るのでなかったら? 愛ではなく、必要、恐れ、利己心──どれも地上的な動機──によってなされる、偽善的で散発的な礼拝は、あなた方の死ぬ部分にしか役立たちません。どうして、不滅の霊魂のためになるでしょう?
けれども、もし、あなた方がこれらすべてをやりながら、不届きにも、自分は正義に生きていると思い込み、神の掟を守っていると自賛し、犯していない罪で罰する神を不当だと訴えるなら、誤ることのないわたしは、本当のことを言います。四日間どころか、四十日間、臭い墓に埋葬されていた人でも、あなた方よりもずっと生きています。あなた方の霊魂は、あなた方の明らかな罪や隠れた罪という壊疽で、七個所も十個所も腐敗しています。そして、その隠れた罪は、決して軽罪ではありません。むしろ、しばしば二倍の非難に値します。なぜなら、それらは、人間の法を逃れ、あなたのありのままの姿を他者が正しく判断できなくするからです。
他者とは、人間です。神ではありません。神は、あなた方の輝かしいい魂の中でうごめく害虫の群れを見ます。その魂は、わたしが与えたものであり、わたしが贖い、わたし自身の一部であるかのように大切にしています。そして、神秘的なことに、あなた方は地上で、わたしの神秘体の一部です。わたしの目であり、最も偉大なものに等しいもの、超えるものでさえあります。なぜなら、わたしは地上の薄っぺらな栄光を見るのではなく、あなた方の真の価値を見るからです。それは、あなた方が永遠の掟との関係において何者であるかに応じて与えられます。
わたしの王座に、あなた方の不当な叱責が上がってきます。罪はわたしを不快にさせます。わたしの崇高さにごみを投げられたように。あなた方の不当で無礼な叱責は、わたしを困らせる川のように、わたしをますます遠くへやろうとします。
あなた方は祈りましたか? 教会に通いましたか? 断食しましたか? 殺しや盗みを避けましたか? それが何ですか? あなた方は、すべきこと以上のことをしましたか? どのようにしましたか?
なぜ、どのように、祈りましたか? 心ここにあらずの祈り、あるいは、憎しみで汚れた心で、ほとんど個人的な利益のためだけ、つまり、利己的な目的のための祈り。だから、あなた方の祈りは、カリタから切り離されました。わたしの王座にささげる黄金の杯を持っていないなら、どうやって、わたしにささげるのですか?
あなた方は、教会に通いましたか? どうように、そして、なぜ? 習慣だから? 偽善のため? 噂話のため? あなた方の神のための聖堂、愛の秘跡の中に自らを無化したわたしの前で、なんとたくさんの噂話がなされているのでしょう。わたしの無化は、永遠なる者を喜ばせ、きょうだいたちに役立つためには、どのような献身をしなければならないかを、あなた方に教えるためでしたのに。
あなた方は、断食しましたか? ああ残念。あなた方の断食は、本当に実行したとしても、不足しています、量ではなく、霊的に! そして、あなた方は、一口のパンを食べないだけで、皮相的なことで満腹します。あなた方の断食は、愛の意志によるのではなく、神の罰を恐れてのものです。あなた方は知らないのですか? 贅沢な食事よりも、厳しい言葉を控える方がよいということを?
あなた方は、殺しや盗みをしなかった? おお、わたしのためではなく! 投獄を恐れて。それが理由です。でも、この恐れは、常にあなた方を引き留めるわけではありません。そして、おお、霊にうそをつく人たちよ、他の霊魂を殺すことは、刃物で人を刺すことや財布を盗むこととは大違いだと思いますか? 他の霊魂を悪に引き入れたり、評判を落としたり、地位を奪ったり、夫から妻を、妻から夫を、子どもから親を奪ったりして、他の霊魂を殺しても? まことに、あなた方に言います。怒りの衝動で体を殺す人と、あらかじめ計画された行為によって、ゆっくりと霊魂や評判を殺す人、財布を盗む人と、家族のメンバーを盗む人とでは、霊魂に対して罪を犯す人の方がずっと非難に値します。
おお、自分では死に結びつく有害なことしかできない不幸な子らよ、あなた方を愛し、助けるために、わたしはあなた方にまったく異なる断食、まったく異なる祈り、まったく異なる行動を課します。肉欲を断ちなさい。官能を求めるあらゆる被造物を断ちなさい。唇よりも、行動によって祈りなさい。わたしが教えたように行動しなさい。わたしだけが、先生であり、英知、正義、愛なる一者だからです。
おお、そうすれば、あなた方にとって、すべてがどんなに変わることでしょう! あなた方は、もはや主の庶子ではなく、異邦人でも、反逆者でもなくなり、再びわたしの子らになるでしょう。わたしの喜びになり、わたしはあなた方のものになるでしょう。その時、あなた方が散り散りになった羊のように、通りすがりのだれからも打たれていた時のことが、どんなに遠くに感じられることでしょう。だれもが、あなた方を笑い者にし、極貧のために施し物で生きる狂人のようだと批判され、多くの人に笑われたときのことが。
主のもとに帰りなさい。あなた方の神のもとへ。時は満ちました。あらゆる方面において。四つの杯が満たされました。二つは神聖な杯、二つは悪魔の杯です。後者には、地の絶滅と、霊の死が入っています。神聖な杯には、正義と慈しみがあります。悪魔の杯を水浸しにする波を起こせるかは、あなた方の行動にかかっています。あなた方の上に、罰の杯──神の杯──がぶちまけられないように、むしろわたしの慈しみが、死にかけている世、死にかけている人、死にかけている霊魂に降るように。慈しみは命です、いとしい子らよ。あなた方の上にわたしの慈しみを引き寄せるのに、ぐずぐずしていてはいけません。
あなた方の救い主のところへ来なさい。わたしの開かれた心に。それは、愛を語ります。あなた方が無駄遣いしてきたものを見つけなさい、愛を。愛すれば、あなた方は救われるでしょう。愛する人には、すべてが容易です。愛する人は、すべて赦されます。わたしは、罪深い女性を赦したキリストです。彼女が多くの愛を示したからです。わたしはキリストであり、変わりません。わたしはここで、あなた方の上にかがみ込んでいます。病床の子にかがみ込む父親のように、病人にかがみ込む医師のように。やはり、あなた方を救うために、いつでも救うために。
あなた方の神に抱かれなさい。あなた方の医師に治療してもらいなさい。あなた方の救い主に救われなさい。これだけを願いなさい、わたしのところへ来て、わたしに救われることを。病んだ霊魂を持って来なさい、善い意志で心をいっぱいにして。わたしの手は、殉教によって二倍に聖なるものとなる前にも、神の手の本性で、らい病人を治しましたが、同じように、手のひらの輝かしい穴から、人々を清める水と、朽ちない者にする香油を注ぎます。
わたしの所へ来なさい。わたしは、先生として、あなた方に勧めます。あなた方を愛する人として、あなた方に求めます。それは、あなた方を愛しているからです。その愛はとても偉大で、圧倒されてしまうので、天国へ行かなければ見られないでしょう。
さて、わたしの心の小さな娘よ、平安に行きなさい。あなたは、わたしを極限まで愛することができましたから、わたしはあなたに、これ以上ない言葉を預けました。それは、あなたの精神にしまわれた星のように、あなたの中にあり、あなたを光と平安と命で照らしています。
今のまま、わたしの祝福の中にいなさい。わたしの平安の香油は、あなたのさまざまな苦しみの上に広がります。わたしは、あなたを祝福します。わたしはイエズスです」。