1943年9月30日
九月三十日
イエズスが言われます。
「わたしの真の弟子と偽の弟子を区別するのは徴174です。
真の弟子は、他人よりも有名になることを望みません。先生や、とても優しい母のように謙虚で、自分の超自然的な力を日常生活の衣服の下に隠します。彼にとっての苦しみとは、自分の本性を見破られることであり、もしそれを手に入れることができたとしても、だれにも気付かれたくないし、何よりもそのことについて話してほしくないのです。
一方、偽の弟子は、得意になり、自分自身を称賛し、自分の行動と自分自身に皆の注目を集めます。どちらも同じように偽善的です。彼はの謙虚さで、他人を自分の好む光、つまり神聖さの光の中で自分を見るよう強要しますが、それは、うそと傲慢さという二重の罪です。
でも、わたしの娘よ、紙の花が本物ではないように、偽の弟子は真の弟子とは違います。表面的にしか見ない人なら欺かれるでしょうが、注意深く取り組む人を欺くことはできません。
さらに、これも知っておきなさい。わたしの中で生き、わたしのために行動し、小さなわたしといえるほどの人たちには、霊魂たちが感じる徴があります。霊魂たち。他人に気付かれて残念がる必要はありません。神に所有されている霊魂は、香りと光を発散させます。それは神の香り、その中で生きている神の光です。強烈な香りや光は、どんなに閉じ込めようとしても漏れるものです。神の香りや光よりも強いものがあるでしょうか? はて、人間の限られた視力や嗅覚でも、密閉された光や香りを察知することができるなら、人間的な感受性ではなく霊的な感受性をもつ霊魂が、神の香りや心の中に生きている神の光を感じないことがあるでしょうか?
別の機会175に言いましたが、わたしのお気に入りのあなた方は、世の光、世の香油です。あなた方は、わたしと一緒に兄弟姉妹に香りをつけ、あなた方の中にいるわたしの光を彼らに伝えます。なぜ驚くのですか? 世間には言わせておきなさい、『あなたは神の娘です』と、良い世界や良くない世界が言うなら、それも人々をわたしに導くために役立ちます。このことでも、『マリア』でいなさい、そして、あなたの賛歌を唱えなさい。マリアは、他者からの称賛で高ぶりはしませんでしたが、神が彼女の中に行われた素晴らしいことを拒みませんでした。
マリア──これはあなたのことです──決して高ぶってはなりません。陽射しを受ける花のように、太陽に抱かれる姿を人に見られなさい。そして、『わたしの美しさは、お恵みのおかげです』と、謙虚に言いなさい。神が光の愛撫と真理の香りとともに授ける喜びを、すべての人に惜しみなく与えなさい。そして、これらすべてを、マリアの沈黙をまねながら行いなさい。沈黙を保つことのできる聖なる徳! マリア、沈黙の愛があるとき、沈黙はどんな言葉よりも多くを語ります。