1943年9月19日
九月十九日
昨日、九月十八日は、とてもつらかったです。一日中、疲れ切っていました。どんなに息をひそめ、体を動かさないようにしても、痛みがひどくて、いつも不平を言わないわたしでも、声を上げずにいられませんでした。そして、咳が出ました・・・いっそ撃たれた方がましというほどの咳でした。
夕飯時──つまり、八時から九時ごろでしょうか、一人でいると、聖マリアのビジョンで祝福されました。その様子をあなた168にご説明しましょう。けれども、あの美しさと、あの色彩を、言い表せるでしょうか?
白い服をお召しでした。首元は締まって、カールしたようになっていて、胸の上の柔らかな襞がマリアの優美なお姿を包んでいました。細い長袖は、手首までありました。胴回りは帯でまとめられていました。金色や銀色ではなく、シルクの紐のようで、服と同じ色と光沢でした。蝶結びではなく、一結びしただけで垂れています。
頭には、服と同じ布のマントがあります。軽そうですが、ベールではありません。それは、マリアの頬にかかり、首のあたりで留められているようです。多分、長い留め金なのでしょう。それというのも、マリアの白いのどが見えるからです。つまり、肩から上腕へと流れ、脇から床までとどいています。
でも、その真っ白でシンプルな服の素晴らしさを、どう表現したらよいでしょう? 雪なら、もっと灰色で不透明です。ユリも、美しさでかないません。輝く白さは、銀の布のようです。その輝きは言葉で表せません! 天国でだけ、そして、マリアの服だけが、あのようにダイヤモンドとも、真珠ともつかない、乳白色の燐光を持てるのでしょう。宝石ではないのに、あのように宝石の集合のような輝きを発することができるのでしょう!
マリアの卵型の顔が見えます。モクレンの花のように象牙色がかっています。御子と同じ肌色ですが、形は御子ほど長細くありません。この花のような御顔に、薄い唇と、暗褐色の眉が色合いを与えています。
目は大きく開かれておらず、まぶたに半分隠れていますが、御子と同じ眼差しで、イエズスと同じ空色ですが、少し薄い青です。人間の世界で言うと、イエズスの目はサファイヤ、マリアはターコイズでしょうか。イエズスの真剣で悲しそうな表情に対し、マリアは、ほほ笑みと悲しみが合わさっています。そのほほ笑みは、自分も苦しんでいる人が、慰め、励まそうとしているときのものです。
髪は熟した麦の金色です。さらに言うと、かなり赤に近いブロンドですが、赤毛というよりはブロンドです。イエズスの場合は、赤銅色に近いブロンドです。
絞った袖口から真っ白な手首が出て、ほっそりとした手に続き、すらりと細長い指が見えます。モクレンの花が祈っているようです。花のつぼみにそっくりで、芳しい香りがしそうです。
首飾りはありません。マリアがすべてです。内部から炎で照らされたアラバスターの輝き、いえむしろ、オパールの輝きを持つ宝石です。栄光を受けたマリアの体は光を発しています。とても優しい光で、聖櫃の前に灯されたランプを思い起こさせます。白いアラバスター、あるいは、オパールのランプです。
足は見えません。長い裾で覆われています。
これが、わたしたちの聖母の描写です。
彼女は、ずっとわたしに付き添ってくださっています。すると、びっくりしたことに、わたしの周りのすべてが光を帯びて、新鮮になり、わたしの心の中に光と純潔が降りてきて、それとともに、うれしくて泣かずにいられないほどの至福に包まれました。
マリアが一言でもおっしゃったら、わたしの霊魂は忘我に突入したことでしょう。そうならないように引き留めていたのは、たった一本の糸でした。祝福された方を見て、彼女の笑顔と視線にキスされていると感じるために必死でした。
もう夕方です。それで、イエズスに、「主よ、今日は、何もおっしゃってくださらないのですか?」と聞きます。
すると、今日はマリアによる授業ですから、言葉は入りませんと、お答えになります。実際、マリアを見るだけで、純潔、祈り、沈黙の美しさが教えられます。この素晴らしい三つのことは、ほとんど実践されていません。
肉体的、精神的に苦しんでいる最中に、わたしは喜びに包まれます。それというのも、最も美しい星の光、マリアが、わたしの上で輝き、彼女を注視させてくださるからです。
少ししてから・・・
・・・そして、マリアは無言のうちに、別のことも教えてくださいます。敵のうちにも彼女の子らを見なさいと。なぜなら、彼女は、わたしたちを子として受け入れたように、彼らを子として受け入れ、彼らに御子を与えたからです。彼らに辛辣な視線を向けることは、彼女に苦痛を与え、彼女と離れてしまうことだと分からせてくださいます。彼女は、御子を十字架につけた人々を見つめて、愛のこもった慈しみで汚れなき御心を貫かれたのでした。
注
-
ミリオリーニ神父のこと。