1943年8月29日
八月二十九日
イエズスが言われます。
「サムエル記のこの点について、一緒に考えてみましょう。『聞き従うことは犠牲に勝り、耳を傾けることは雄羊の脂肪に勝る。背くことは占いの罪に等しく、頑なな心はテラフィム礼拝の悪に等しい』(サムエル記15・22)。
聞き従うこと。あなた方が実践したがらない徳です。あなた方は、生まれてすぐに自分の感情を表すことができますが、それは従順に抵抗する感情です。あなた方は、反抗的に生き、反抗的なまま死にます。洗礼で原罪は消えますが、罪があなた方に残した毒は消えません。
そもそも、原罪とは何でしたか? 不服従の行動です。アダムとエバは、創造主である父に反抗したいと思いました。この愛のない行動を唆したのは、最も不従順な者、至上の神への愛ある従順を拒んで悪魔になった者でした。この毒があなた方の血に隠されています。あなた方の霊魂に致命傷を与えないためには、あなた方が常にそうしないように心掛けるしかありません。
けれども、おお、わたしの子らよ、あなた方ができることで、これ以上称賛に値する行動があるでしょうか? よく考えなさい。
常に神のみ旨に従うことに比べれば、犠牲をすること、献げ物をすること、慈善行為をすることの方がたやすいほどです。それは、流れる水のように、次から次へと現れます。別の波をもたらし、後から後から続きます。子らよ、あなた方が、そこから出ようとするなら、死んでしまいます。それは、あなた方の命に不可欠の要素です。その一滴として、愛の目的から発していないものはありません。これを信じなさい。
従うとは、神のみ旨を行うことです。『主の祈り』で、常に行われますようにと願いなさいと教えたことです。それを、わたしは、言葉と行いによって実践するように教えました、死にいたるまで。
従わず、反抗することは、魔術の罪を犯すことだと、本には書かれています。実のところ、あなた方は、反抗によって何をしますか? 罪を犯します。その罪が生むものは? あなた方の悪魔との婚姻です。そのとき、魔術を行っていませんか? 魔術によって、自分を神の子からサタンの子に変えていませんか?
従わないこと、従いたがらないことは、偶像崇拝の罪に似ていると、聖書は続きます。実のところ、あなた方は不服従によって何をしますか? 神のみ旨を拒むことで、神を拒みます。父であり、主である神を拒みます。けれども、あなた方は真の神を拒んだとしても、代わりに何かをあがめずにはいられませんから、自分をあがめます。あなた方の肉体を、プライドを、金銭を、サタンを、その最も強烈な発現において。こうして、あなた方は、偶像崇拝者になります。何を崇拝しますか? あなた方を奴隷、不幸な奴隷にする、きわめて恐ろしい神々を。
来なさい、来なさい、わたしの愛の子らよ。父の軛へ来なさい。それは、あなた方を害することなく、抑圧せず、おとしめず、むしろ、あなた方を持ち上げ、導き、聖なる王国へと安全に届けます、そこにもう、苦しみはありません。
従うことを望まない世は、服従によって救われることを知りません。神の道へ戻るために、神の声に従いなさい。徹底的に従って、父の家を再発見しなさい、偽りの尊厳を錯覚して逃げ出した父の家を。父の手を再発見しなさい、祝福と癒しの手を。父の心を再発見しなさい、愛し、許す心を。
おお、子らよ、よく考えなさい。あなたがたが失った恩恵を再び与えるために、最も純粋で、最も清く、最も善い二人が、究極の服従をやり遂げなければなりませんでした。人類の救済は、大天使の前でのマリアの『なりますように』で始まり、十字架上のイエズスの『成し遂げられた!』で終わりました。わたしと母による二つの最も苦痛で、最も必然でない服従行為は、罪の償いのために必要でした。
罪を犯さなかったわたしたちが、服従によってあなた方の罪を贖いました。哀れな子らよ、あなた方はそれでも、あなた方の先生をまねたいと思いませんか? 愛と信仰のあかしである服従によって、慈しみを得たいと思いませんか?
あなた方が誓願によって建てる教会や、他のどんな誓願よりも、美しく、喜ばしいのは、この霊魂の花です。これは、この世で、人の心の中で生まれますが、天国で永遠に咲いて、あなた方の栄光となるでしょう」。