手記 Quaderni

1943年8月24日

 八月二十四日

(キュリー夫人146について)

 イエズスが言われます。

「人間的に完全な人たちがいます。彼らは、霊魂以外はすべて完全です。その霊魂はますます退化し、未発達な状態に戻っています。彼らは完璧な才能を持ち、真剣さ、誠実さ、謙遜において完全です。けれども、どれも人間的な完全性です。彼らの美徳は、温かさを感じさせない炎です。冷たい炎です。わたしにとって、何の価値もありません。わたしは、完全な人間性よりも不完全な霊性を好みます。

 人間的完全性の輝きは、百個や千個のアーク灯のようです。確かに光をもたらします──それは否定しません。けれども、それは人工的な光で、小さな装置が壊れればすぐに消え、何も残りません。けれども、霊魂は、たとえ不完全であっても、常に自身の光の中で生きている小さな太陽です。その光は、それを包んでいる恵みから流れ出します。わたしが言うのは、生きた霊魂のことです。つまり、わたしの中で生きている、恵みによって活かされている霊魂のことです。

 彼らは優れた知性を持ったことで、自然の神秘を掘り下げることができたわけですが、すべての被造物に書かれている神の力と実在をも知るべきでした。けれども、これが少しも見受けられません。知識でいっぱいですが、本質についての正しい知識に導く糸が欠けています。新しいものの発明者たちは、永遠なものを否定します。秘密の諸力を発見しますが、諸力の中の力である神に無関心です。彼らは神を求めません。それどころか、ことさらに神を否定します。少なくとも、神を無視します。

 こういうわけで、人間の科学はまぎれもなく進歩したのに、善ではなく、毒の実をつけています。科学者たちの心や精神には、神を敬い、愛し、隣人を敬い、愛させる愛の火が欠けています。

 この女性の場合、害をなさず、むしろ、兄弟姉妹に利益をもたらしました。実に立派なことです。けれども、考えなさい、もしも彼女が、彼女の自身の魅力のほかに、深い信仰心をも備えていたなら、学派や、弟子や、孫弟子に、どれほど刺激を与えていたことでしょう。

 また、これも信じなさい、裁きの時、無学な小人物が優れた科学者よりも偉大な者として先に立つでしょう。前者は愛に燃えて、わたしの天の生きた星になるでしょう。後者は、人間的な意味で善い事をしましたから、有罪とはなりませんが、わたしの楽園では冴えない存在にとどまるでしょう。彼らは、自身の功徳ではなく、わたしの慈しみによって救われるでしょう。彼ら自身のおかげというより、彼らから利益を得た人たちの祈りによって救われるでしょう。

 ところで、教えてください。あなたはどちらがよいですか? この世で星のように輝き、天上で暗い星雲になるのと、知識の分野で取るに足らない者であっても、わたしのもの、わたし自身のものになるのとでは? あなたの答えは分かっていますから、ただこう言います、『あなたは賢い答えをしました。平安のうちに行きなさい』と」。

注

  1. マリー・キュリー(一八六七~一九三四)。

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