1943年8月22日
八月二十二日
イエズスは言われます。
「先日言ったように138、永遠に嫉妬する者は、神のあらゆる発現をまねしようとします。
神に忠実な大天使たちがいます。同様に、サタンに忠実な使いがいます。神の証言、ミカエルには、地獄の模倣者がいて、神の力、ガブリエルにも地獄の模倣者がいます。
最初の獣が海から現れて、惑わされた者たちに『誰が、この獣に匹敵することができようか?』と、冒涜的な声で叫ばせますが、この獣はミカエルに相当します。最初に神の軍とルチフェルの軍の戦いで敗北し傷つけられ、サタンによっていやされた彼は、ミカエルに対して極端な憎しみと、サタンに対する愛を抱きます。悪魔の中で愛と言う言葉が使われるかどうか疑問なので、『絶対的な服従』と言った方がよいかもしれません。
呪われた王の忠実な家臣は、神の被造物である人間の子孫を害して、自分の主人に仕えさせようと、あらゆる知恵を働かせます。彼は、闇の霊たちを恐れさせるわたしの徴を人間が自ら消すように、次から次へと力を行使します。あなた方の本質の上に輝いていた聖油の恵みが罪によって除かれ、わたしの徴が消されると、獣は人間に近づき、人間が自分を神のように礼拝し、罪を犯して仕えるように仕向けます。
人間は、罪と結ばれればどんなものに隷属することになるのか、よく考えるなら、決して罪を犯さないでしょう。けれども、人間は考えません。その瞬間と、瞬間の喜びを見て、エサウよりも悪いことに、一皿のレンズ豆を神の父権と交換します。
しかし、サタンが用いるのは、この乱暴な誘惑者だけではありません。どんなに人間が浅はかでも、愛より罰への恐れから、重罪を避ける人は少なくありません。そこで、サタンの別の家来が現れます。第二の獣です。子羊の外見の下に、竜の霊を持っています。
それは、ガブリエルに相当するサタンの第二の発現です。彼は獣の到着を宣言します。サタンの最強の力です。獣に従うべきだと、甘いうそで説得し、知らぬ間に解体します。
政治の力や地上の力について話しても無益です。無駄です。前者を人間の権力、後者を人間の知識と呼ぶとします。もし、権力が反逆者や知識を生んだとしても、それが単なる人間的なものであるならば、反乱を起こすことなく崩壊し、地獄への新規会員を無数に増やすだけです。うぬぼれの心によって、なんと多くの人が失われることでしょう、うぬぼれは信仰を軽蔑させ、彼らを神から切り離し、霊魂を殺します。最後の日に地上の刈り入れを行うのはわたしですが、あなた方の中に、すでに刈り入れを始めている者がいます。この悪の霊は、あなた方を切り倒します。あなた方は、永遠の実りにならずに、サタンのすみかのわらにされます。
必要な知識は一つだけです。千回でも繰り返します。神を知り、神に仕えることです。事物の中に神を知りなさい。さまざまな出来事に神を見なさい。そして、神とその敵を見分け、地獄に落ちないようにしなさい。だが、あなた方は、超人的な知識を失いながら人間的知識を増やすことに関心を持ちます。
わたしは知識を悪いとは言いません。むしろ、人間が知識によって強化され、洞察を深めるならば喜びます。そうすれば、理解力が高まり、わたしの業を称賛することができるでしょう。あなた方に知性を与えたのはこのためです。けれども、あなた方はそれを、神を見るために用いなければなりません、天体の法則、花の構造、生命の受胎などに。知性で生命を脅かしたり、創造主を否定したりしてはいけません。
合理主義、人道主義、えせ哲学、神智学、自然主義、古典主義、ダーウィニズムなど、あなた方はさまざまな学派や学説を持ち、どれにも関心を持ちます、その中で、どんなに真理が歪められていようが、抑圧されていようとかまわずに。キリスト教の教説だけに従って知識を深めようとは、思いません。
結局、自然な抵抗です。宗教文化について深く知るうちに、掟に従うか、掟を踏みにじりたくはないと公言するよう強いられるでしょう。あなた方は、どちらもしたがりません。こうして、あなた方は、超自然的な知識に精通することを望まないのです。
けれども、不幸な愚か者たち! あなた方が、わたしの審問を受けなければならなくなったとき、あなた方の貧弱な学派や言葉が何になるでしょう? あなた方は、自分の中の真の知識の無限の光を消し、光の代用品で自分の霊魂を照らしていると信じ込んでいます、ちょうど、気の毒な狂人が、たくさんの小さなランプで新しい太陽を作って、太陽を消そうとするかのように。けれども、たとえ霧が太陽を隠したとしても、太陽は常に天空にあります。同様に、あなた方の学説で知識と真理を隠す霧を作ったとしても、真理と知識は常に存在します。なぜなら、それらは永遠であるわたしから来るのですから。
真の知識を求めなさい。そうすれば、知識をふさわしく理解できるでしょう。あなた方の霊魂を人工的な上部構造から解き放ち、そこに真の信仰を入れなさい。霊的な聖堂の尖塔のように、知識、知恵、知性、堅忍、謙遜、禁欲が開花するでしょう。なぜなら、真の賢者は、人間が知り得ることばかりでなく、最も難しいことをも知っているからです。肉体的な情熱の中でどのように自分を治めるか。自分の低い部分をいかにして霊魂を持ち上げる足台にするか。わたしに会うために、いかに自分の精神を天に向かわせるか。わたしは、来ます、そして、わたしの兄弟姉妹の真に聖なる主人になろうとする人や物のすべての中にいます」。
八月二十二日の後刻。
イエズスが言われます。
最後の七つの災は、七つの雷鳴に相当しますが、これについては、まだ述べていません139。いつものことながら、それらの描写は比喩的ですが、そこに現実性がまったく排除されているわけではありません。あなたに説明するのがふさわしいと判断するものを説明しましょう。
第一は潰瘍です。
モーセの時代から、わたしに対して許されない罪を犯した人間を、嫌な病気で罰してきました。モーセの姉ミリアムの体は、わたしの僕モーセを非難したので、重い皮膚病に覆われました。神を非難する人たちに、同じ事が、いえ、もっと悪い事が起こらないと、どうして言えるでしょうか? 重い皮膚病であれ、どんな種類の潰瘍であれ、ますます広がります。それは、あなた方が、神に対する罪と、あなた方という神の素晴らしい作品に対する罪を、ますます広げているからです。
あなた方は欲望の罪で身を包むとき、神に対する罪を犯していると思いませんか? そう、あなた方は、自分の体を汚しています。体は、わたしという、至高の霊を受け取る霊が宿るところです。人間の欲は、冷たい故意的な意志に導かれて、どこまで行くのでしょう? 人間のこの不快な没落の底は、精査しないのが最上です。ある種の動物は汚れたものと言われていますが、人間はすでにもっと汚れているし、ますます汚れるでしょう。もし、サルを蛇や豚を交配して新しい動物が作られたとしても、ある種の人間より汚らわしいことはないでしょう。もっと汚らわしいのは、外見は人間だが、内面は最も汚らしい動物よりも淫らで不快な人間です。
あなたに教えたように、人類はますます分裂しています。霊的な人たちは非常にまばらですが、上昇しています。肉体的な人たちは大多数で、下降しています。恐ろしいほどの悪の深さに。怒りの時が来たら、人類は悪の完成に到達するでしょう。
では、あなた方は、死んだ魂の悪臭が中から漏れ出て肉体を腐らせるのを望みますか? 肉体はわたしよりも賛美され、あらゆる堕落に用いられました。あなた方によって潰瘍が引き起こされるにつれ、海や川の水は血で満たされるようになるでしょう。あなた方は、すでに殺人によってそれを始めています。水中生物はあなた方の殺戮によって減少し、あなた方に飢餓をもたらしています。あなた方は、あなた方の物質的必要のために神が与えた贈り物を踏みにじりました。その挙句、地、空、水はあなた方の敵になり、地の実りも、水や川や森や空の生物をあなた方に与えることを拒むようになりました。
あなた方は殺します。もっと殺します。愛と赦しの掟を踏みにじります。あなた方は、兄弟姉妹の血を流し、特に、善人が善人であるがゆえに迫害します。でも、気を付けなさい。神はいつか、あなた方が平和と愛というわたしの命令に違反して流させた血で、あなた方が飢えと渇きを満たすように強いるでしょう。
あなた方は、わたしがあなた方に与えた掟への反逆者です。あなた方への反逆者は、星や惑星です。それらは、今でも、あなた方に必要な光や熱量を与えています、わたしが、あなた方への善意で示した法則に従って。
あなた方の悪の徴である不快な病気。あなた方が流すことを望んだすべての血──その中央にある、わたしの血──を証言する血まみれの水。呪われた人を待つ永遠の業火を予見させる太陽の火。光を憎むすべての人を待つ闇。これらはどれも、あなた方を反省と後悔へと導くためのものです。
そして、それは何の役にも立たないでしょう。あなた方は落ち続けます。あなた方は、悪と同盟を結び、『東の王』への道を準備するでしょう。つまり、悪の息子の援助を求めます。わたしの使いが災厄をもたらすように見えるでしょう。本当は、あなた方が望むから、災厄をもたらされるのですが。
あなた方は、竜や獣と結び付いて、自身が竜や獣になり、汚れた内部から汚れたものを生むでしょう。絶対的に悪魔的な教えです。それは、偽りの奇跡を行って、権力者たちを誘惑し、神との戦いに引きずり込むでしょう。あなた方は、地獄の創造を天の奇跡と見誤るほど歪められるでしょう。
マリア、今から、ヨハネの書の最も難解な部分へ導きましょう。注釈者たちは、『大バビロン』とはだれか、自分に対しても群衆に対しても説明するために、多くの推論で能力を使い果たしました。人間的な見方では、予期された出来事や、起きている出来事による衝撃を関連付けることができなかったため、彼らは多くの事にバビロンの名を与えました。
けれども、彼らが『大バビロン』を地上の全土だと考えたことがなかったとしたらどうでしょう? わたしが居住地として地だけを創造したとしたら、非常に矮小で限定的な創造神だということになります! 意志の一打で、わたしは、世界の上に世界を無から生み出し、無限の天空に光り輝く細塵として投げ出しました。
あなた方が誇る獰猛な地球は、無限界の中を周回する塵の一つに過ぎず、最大のものでもありません。確かに、最も堕落したものですが。何百万の世界に命が溢れていて、それは、平和な夜にあなた方の目を喜ばせます。そして、あなた方の霊的な目が神に再び結ばれて、この世の驚異を見ることができるようになったとき、神の完全性があなた方に見えるでしょう。
地はまさに、地と地獄のすべての権力と密通した大淫婦ではありませんか? 地の住民は、ただ地上にいる間の勝利を求めて、自分を──体も心も──卑しめているのではないですか?
そのとおりです。地上の罪は、あらゆる冒涜の名を持ちます。ちょうど、獣がそうであるように。地とその住民たちは、勝利のために、獣と同盟を結びました。七つの罪は、獣の頭にある恐ろしい装飾のようです。獣は、地とその住民を悪の牧場へと運びます。十本の角は、隠喩的な数ですが、その獰猛な熱望がなんとしても得ようとして犯す数限りない邪悪な行いを示しています。
殉教者たちの血で濡れた地は、この聖なる酒を冒涜的な口で飲んで酔わされ、のろわしい酩酊のためのフィルターにされたのではないですか? 獣はそれを運びます──アダムから始まったあらゆる悪の集大成を、ただ世界と肉体において勝利するために──彼をあがめる人々を付き従えて、彼は、呪われた王国の一時的な王になるでしょう。あなた方は神の子であるなら、それは永遠の王国です。でも、あなた方がサタンをあがめて、呪われた王国の一時の王になるなら、彼があなた方に与えることができるのは、永遠の恐怖と引き換えにされた束の間の勝利だけです。
ヨハネは、『獣は、かつてはいたが、今はいない』と言います。世の終わりには、そのようになるでしょう。かつてはいたというのは、本当にいたからです。今はいないというのは、キリストであるわたしが、彼を負かして埋めるからです。その時、彼はもう、世の勝利のために不要になるからです140。
地は水の上に座り、害をもたらすために水を用いませんでしたか? 彼女がしなかったのは、何ですか? 民、国家、人種、境界、利益、食料、発展──すべてが、密通と大虐殺とユダのような裏切りを実行するのに役立っています。罪の血によって育てられた彼女の子らは、彼女を破壊し、自分たちを破壊し、神と人への罪の総計をわたしの『もうじゅうぶんだ!』という数に到達させて、神からの報復を得るでしょう。
その時、殉教者と預言者の血は沸き立ち、わたしの王座に心地よい香りを届けるでしょう。そして、わたしへの憎悪のために殺された人々の嘆きを集めた地の塊は、彼らの最後の震えをも受け止めたわけですが、これらの聖なる嘆きを集めた大きな叫びを上げるでしょう。そして、苦悩の発作に震え、人間の町や家々を揺るがすでしょう。そこには、罪と殺戮があり、正義を求める声が天の下を満たすでしょう。
そして、正義があるでしょう。わたしは来ます。わたしが来るのは、わたしが忠実で、誠実だからです。わたしは、忠実な人々に平和をもたらし、命を得た人びとに神聖な裁きをもたらすために来ます。わたしは、わたしの名で来ます、その意味は、わたしだけが知っていますが、その文字は、神の主属性です。わたしは神の部分であり、全部です。
書きなさい、イエズス、高貴、永遠、聖性、一性。書きなさい、キリスト、カリタ、贖罪、広大、英知、三位一体、全能〔人となった御言葉によって要約された神〕。もし、何らかの属性が欠けていると思うなら、正義は聖性の中に含まれていることを考えなさい──聖なる人は、公正だからです。気高さは高貴の中に、創造は全能の中に。わたしの名による、神への称賛は、このように示されます。
悪魔たちを恐れさせる聖なる名の響き。あなたを愛し、あなたに神の加護を求めるあらゆる人に命と光と力を与える命の名。
わたしの頭上の冠の名141は、獣とその預言者に対する勝利者。彼らは捕えられ、抑えられ、永遠の液火の下に沈没させられるでしょう。その炎の腐食性の狂暴さは、人間の感覚を超えるものでしょう。
その後、わたしの地上の国の時になるでしょう。邪悪な罪の停戦期間があって、人間に再び天の声を聞かせようとするでしょう。いったん、恐怖を撒き散らす力が取り除かれ、霊的な恵みが広大な滝のように流れ落ちるでしょう。光の言葉を語るために、川のように天の水が。
けれども、何世紀にもわたって人間たちは、善を語る声を始めとする孤立した声を集めなかったように、相変わらず多くの霊の声に耳を貸さないでしょう──わたしの徴をつけられ、わたしに従って歩き出した、いとしい友たちを除いては──その声は、たくさんの水の音にも似て、人々を導く新しい歌を歌うでしょう。その導く先は、光、特に、永遠の言葉であるわたしです。最後の試みがなされた後142、サタンが最後にやって来て、地の四方から追随者を見つけるでしょう。その数は、海の砂のように多いでしょう。
おお、キリスト! おお、イエズス! 人間を救うために死にました! あれほど長く待つことができたのは、神の忍耐のみ! 人間から得ることがないにもかかわらず、また、示された時よりもずっと早く消すことができたにもかかわらず、贈り物を引っ込めることなく! わたしの忍耐、それは愛ですが、それのみが、あなた方を待つことができました。それは、知っていたからです、とても目の細かいふるいを通る砂のように、いくつかのごくまれな霊魂が、栄光に入ることを。大多数の霊魂は、掟、愛、犠牲のふるいを通ってわたしに達することができず、望みませんが。
けれども、わたしの来臨の時には、神、王、裁判官の役割において、選ばれた者たちを集め、堕落者たちをのろうでしょう。堕落者たちを、反キリスト、獣、サタンがすでにいる所へ投げつけるでしょう。それは、イエズス・キリストの至上の勝利の後のことです。イエズス・キリストは、神の子、死と悪に勝つ者です。選ばれた人たちには、天の住まいを与えるでしょう。わたしは、わたし自身を、絶えることなく、果てしなく与えるでしょう。選ばれた人たちとは、命の中に『生きる』ことができた人、霊において生きることができた人たちです、わたしたちの勝利の時を待ちながら。
マリア、その時を熱望しなさい。あなたの全霊をふるって、その時とわたしを呼び求めなさい。ここにいます。魂から呼ばれれば、わたしはすぐに来ます。最愛の者も一緒です。彼は、地から神の子、子羊の栄光を見ました。彼とあなた方のイエズスの栄光を見ました。心臓の鼓動のたびに言いなさい、『主イエズス、来てください』と」。
わたしは、ほんのぼろ布、哀れな小さなぼろ布に過ぎません。わたしに残っているのは、甘美さに浸された霊魂だけです。
イエズスが、わたしに口述しながら分からせてくださったことですが、「地」とおっしゃるときには、世界を表しておられますが、塵と水からできた地球のことではなく、人々の結合体のことです。この説明が適切かどうか、分かりません。イエズスが「地」とおっしゃるときは、いわば、道徳的存在のことで、ただ「地」と言われるときには、土と山と水から出来た惑星のことを意味しておられます。前者は非難に値し、後者は罪がありません。
だからこそ、自己矛盾することなく、次のようにおっしゃれるのです。殉教者たちの血は地の毒となった。地は、それ(その住人たちの血において)を冒涜的な怒りとともに飲み、一時的な権力(政治力)の冒涜的な乱用によって流させました。一方、地球は、永遠の空間で回転しながら、殉教者たちの血と苦悩の痙攣を、敬意と愛をもって飲み、受けとめます。そして、永遠なる者に両者を示します。母のように慈悲深く懇願して、彼らの流された血や苦しみが無駄にならず、正義が行われますようにと。
わたしの大好きな聖書について、直接説明を受けることができて幸せです。でも、人間的な言葉であなた143に断言いたしますが、わたしはぼろぼろです。しぼり尽くされてしまったようです。あんなにいっぱい溢れていたのに、もう何も残っていません。
このところ、わたしの内部で響く大きな声に圧倒されて、人間の騒音ががまんできませんでした。そう、わたしの周りは騒音だらけです! わたしは、生活上の捕らわれ事と先生の超自然的な要求の板挟みでした。
大丈夫。もう終わりました。今は言えます、「少し休みましょう──そうしなければ、イエズスの小さな筆記者は、酷使された機械のように壊れてしまうでしょう」と。こちらのコピーをお願いします。でも、タイプ打ち原稿をお持ちくださるとき、このノートもお返しください。訂正するにしても、手書き原稿を見た方が楽ですので。そうでないと、言葉が抜けていても、思い出して補うことができませんでしょう? 思い出せませんよね? また後で、お渡ししますから。
でも、もう少し続きがあります。
イエズスが言われます。
「このシリーズを閉じる前に、二つの復活について、言っておくことがあります。
最初の復活は、霊魂が体から離れて、私審判のためにわたしの前に現れるときに始まります。けれども、それは部分的な復活に過ぎません。復活すると言うより、霊魂が肉体のさやからの解放されると呼ぶべきでしょう。霊魂は、肉体と再結合されるのを待ちます。御父によって創造された生きた神殿に戻ることができるように。神に似た者として造られた人間の神殿に。
一つの部分が欠けている作品は未完成で不完全です。人間は作品として、創造においては完全でしたが、他の部分と再び合わされることがなければ未完成で不完全です。光の国か、闇の住まいかの、いずれかに運命づけられている人間は、肉体と霊魂の完成において、永遠にどちらかにいることになります。
このように、第一と第二の復活は語られています。けれども、よく見なさい。
この世の罪の生活で霊魂を殺した人は、わたしの裁きの所へ来るとき、すでに死んだ霊魂を持っています。最後の復活で、彼の肉体は、再び霊魂の重さを得て、霊魂と共に完全に死にます。しかし、この世の生活において、肉体に打ち勝った人は、生きた霊魂を持ってわたしの裁きの所へ来るでしょう。楽園に入るとすぐに、その命は増すでしょう。
浄化されている者たちも『生きて』います。病んでいても生きています。償いによって治癒がもたらされると、彼らも命の場所へ入ります。最後の復活において、わたしの命とともに生きている彼らの霊魂は、わたしの命に固く結ばれて、再び体を得て輝き、完全に生きることになります。わたしが共に生きるからです。
だから、第一と第二の死について語られ、その結果、第一と第二の復活について語られます。人間は、この光を永遠に持つようにならなければなりません──なぜなら、あなた方は楽園で神を持つからです。神は光です──それは、自分の意志によらなければなりません。人間は、自分の意志によって、光と楽園を失ったのですから。わたしはあなた方を手伝いましょう。でも、意志はあなた方のものです。
わたしは忠実です。あなた方を自由な者として創造しましたから、自由なままにしておきます。このように神から人間の自由意志を尊重されることの素晴らしさを熟考するなら、自由意志を悪用して悪をなさないことが、どんなに正しく適切であるか理解できるでしょう。また、あなた方が主である神への尊敬と感謝と愛を保ち続けることが、どんなに正しく適切であるかを。
不誠実な行いをしなかった人たちに、わたしは言います、『天にあなた方の住まいが準備できています。あなた方がわたしの幸福に入ることを切に願っています』と」。