1943年8月15日
八月十五日
イエズスが言われます。
「あなたが書くものは、次のように用いなさい。
あなたのものは、人間の好奇心を満たす通常の情報価値を持つでしょう。人は、魂の秘密を探りたがいと願うのが常ですから。
わたしのもので、あなたのものとは切り離さなければならない部分は、教育的価値を持つでしょう。なぜなら、そこには福音の声があり、この福音的な声は、それがどんな形であなた方にもたらされるとしても、常に霊的形成の価値を持つからです。それが魂の手の届く範囲に届いた方法、あるいは複数の方法が、すでにこの世のものではなくなったとしても、それはそのままあり、価値を失うことはありません。
わたしは今日、新しい祈りを与える気になれませんでした。六月130に与えたものよりも理解されないことを知っているからです。あの時の願いは、ヴィアレッジョの家々や人々が爆弾を逃れられますようにというものでした。人間の鈍感さや恐怖を思えば、無理もないことでした。今日、もっと高尚で、普遍的なものが求められていますが、それが普遍的に望まれているわけではなく、ヴィアレッジョの小さな中核全体よってさえも望まれていないことに気付くのはつらいことです。
戦争は、多くの破壊を意味しますが、多くの人にとっては利益でもあります。人は、自分の利益に直面すると、集合的利益を疎かにします。あなた方はお互いをあまり愛していないので、それぞれが自分の利己心に閉じこもり、隣人に対しては毒針を構えて生きています。したがって、最初の祈りが霊にはほとんど感じられず、自分自身と家の所有に対する恐怖で震える肉体にのみ感じられたのであれば、この祈りは、さらに耳の聞こえない霊で唱えられるのです。
これでは、求めているものは得られません。武器には休戦が来るでしょう、そうでなければなりませんが、それはただの休戦です。休戦と平和は別物です。平和とは、外的、内的一致を意味します、霊的視線と愛情によって求められるものです。
あなた方が、わたしの所へ来ることができるなら、唇と霊魂を洗われ、真のカリタで燃えながら来るなら、わたしはあなた方にこの平和を与えましょう。悪が、それを妨げようと、どんなに妨害しても与えます、わたしは永遠の勝者ですから。でも、今日、教会でこのために祈る人があまりいないとしても、ほんの少し、ほんの少しの人でも祈るなら、この祈りを強力にする要件を満たすでしょう。これは、苦しく恐ろしい真実ですが、隠すのはためになりません。たとえ隠しても、それが起こす害悪は続くのですから。
哀れな人間たち──なんという悪人たち! 天からこの真実を轟かせるなら、ファリサイ派が隠していた悪徳をばらされて非難された時のように、気を悪くするでしょう。
でも、わたしが言うとおりです。聖なる真の平和は、万人から望まれていません。あなた方は、とても鈍感で、邪悪な性質を塗り付けられているので、あなた方を超える方が、あなた方に明かす真理の調べを聞くこともできません。けれども、それが真理です──真理はただ一つ、ほかの真理はあり得ません。
わたしたちが扱うテーマはいつも同じです。『もし、十人の正しい人がいたら・・・』131。けれども、正しくない人は多く、正しい人はほんのわずかです。サタンには、おびただしい数の子や僕がいます。神の子には、真の子らや真の僕がほんの少ししかいません。あなた方の滅びの原因は、この不均衡にあります」。