手記 Quaderni

1943年8月11日

 八月十一日

 イエズスが言われます。

「昨夜、あなたの従兄120は驚き悲しんでいました。あなたが書いているのに、苦しみが止まないからです。

 なぜ、止まなければならないのですか? 人間にとって、使命は常に苦しいものです。神に仕えることで、肉体は苦しみます。けれども、苦しめば苦しむほど、霊の働きは豊かになります。

 わたしが最高に使命を果たしたのはいつでしたか? 最大の受難の時です。あの時、わたしは父に見捨てられていましたから、あなたのようによいものを持っていませんでした。でも、あなたはわたしに見捨てられていません。

 あなたの体は一握りの灰に過ぎないのに、その苦しみに対して、過分な報いではないですか? ええ、確かに。わたしを近くに感じるだけで十分でしょう。けれども、あなたは、わたしが近くにいるばかりでなく、わたしに愛撫され、わたしのビジョンと言葉をも与えられました。

 このようにして担う十字架は、もはや霊魂にとって十字架ではありません。肉と血にとっては十字架ですが。けれども、あなたは完全な奉献で、それらをわたしにささげました。そして、それらが焼き尽くされるのは善い事です。というのも、犠牲において、それらの罪は取り消されるからです。それに関して──あなたは確信しています──あなたに思い出させるために言う必要はありません。けれども、あなたは、わたしにそれらをささげました。あなた自身のためと、たくさんのことのために。だから、それらに、完全な犠牲の十字架を負わせなさい。それが正しいことだからです。

 あなたは書くことで、何をしているか分かりますか? わたしの意志を行っています。あなたが使命を果たすことを望みます。あなたがわたしに望まれたこの努力をすることで、たった一つの霊魂でも道を見つけるなら、その奮闘は、たとえ人間の目には冷酷と思えようとも、正当化されるでしょう。

 わたしは、激しい苦痛と戦いながら、先生と贖い主としての務めを最後まで果たしました。思い出しなさい、カイアファ、ピラト、エルサレムの女性たち、そしてディズマを。最後の最後に、わたしは慰め、救いました。そして、わたしの苦しみがどんなものであったかは、わたしだけが知っています! それに比べれば、あなたの苦しみは、ないも同然です。

 いかなる点でも、弟子が先生に勝ることはありません。あなたの先生が、人間を救うためにあれほど苦しんだのに、先生の足跡をたどるあなたが、それより苦しまなくてよいでしょうか?

 また、わたしは、あなたにどれぐらい厳しくするべきか知っています。わたしがとても厳しいとしたら、あなたに増えた重荷に耐える力を与えているからです。あなた方に迫っている恐ろしい時のために、無限の苦しみが必要であることの徴です。犠牲の苦しみが防ぐのは、物質的破壊ではなく、霊的破壊です。それは、霧を含んだ雲のように、霊たちの目を見えなくし、滅亡へ導こうとしています、まだ安全でいる者たちをも、ますます決定的に」。

 (わたしたちの未来に関して)イエズスがつらい展望を示されることへの不平に答えながら、こうも言われます。

「でも、マリア、イエズスの小さな友人たちには、苦痛を逃れることが許されていません。

 あなたの哀れなイエズスが、受難のときに得た唯一の慰めは、母の存在でした。マリアは、わたしの呻きを一つとして聞き逃さず、涙、皮膚のしわ、筋肉のびくつき、顔のひきつり、すすり泣き、死前喘鳴のどれ一つとして見逃しませんでした。それらは、母の心にたくさんの槍のように突き刺さりましたが、彼女は逃げませんでした。イエズスにとって、母の存在が唯一の慰めであることを知っていたからです。

 小さなマリアも、偉大なマリアと同じようでなければなりません。今も、わたしは苦しんでいます、人間たちのあまりの強情さに直面して。もう一度言います121。わたしは、もう一度降臨して、あなた方を救うために死んでもよいのです、おお、人間たちよ、たくさんの罪の底に落ちる人間たち。たくさん苦しみます・・・わたしの苦しみを黙らせることができません。だから、それについて話すことは、わたしの話を聞く人に、とても悲しい未来のビジョンを見せることを意味します。

 でも、一緒に泣くことは、とてもよいです。あなたの肩にもたれるわたしの頭を避けないでください。人類は、とげだらけの冠をわたしの頭に押し被せます。同じとげが、あなたをも刺すでしょう。でも、考えなさい、わたしたちの嘆きと血は、罰を差し止める試みのために、ともにささげられるでしょう。

 マリア、必要なのはこれです。ほかのものは、見つけたものを放置して、あなた方に新たな悪の力を加えます。でも、犠牲は救いです。地獄になりかけているこの地から、犠牲的な霊魂がたくさん現れさえすれば・・・!」

 神父様122、とても苦しいです。わたしに降りかかる直感は、病気の体に拷問以上にこたえて、ますます悪くなります。人間的な言葉で告白しますと、死んで逃れたいほどです。でも、ご覧のとおり、これも神がわたしのために蒔かれる苦痛の畑に落ちたものですから、わたしはそれをいただいて、命のパンとして食べなければなりません。

 そして・・・進みます。わたしは、あらゆるとげの中におります、それというのも、イエズスさまがわたしに、血と火の地上をお見せになり、ルチフェルがわたしを動揺させようとするからです。ルチフェルは、わたしがじきに、(先生を失って)独りぼっちにされる、彼は、もう、わたしに飽きてしまわれた、と指摘します。言わせておきますが、もちろん苦しいです。

 ありがたいことに、目に見えない現存を、強く感じ続けています。そして、これが、無価値なわたしにすべてを与えてくれます。

注

  1. 著者の母のいとこ、ジュゼッペ・ベルファンティ。戦争のため、彼は家族とともにレッジョ・ヴィアレッジョから移転し、一九四三年七月から一九四四年十一月まで著者の家に滞在していた。

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  2. 四月二十三日の口述のように。

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  3. ミリオリーニ神父。

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